ニューウェーブ短歌を牽引していた荻原裕幸の第六歌集。前歌集が第五歌集『永遠青天症』を含む全歌集『デジタル・ビスケット』で2001年刊行ということで、本作は19年ぶりの歌集となる。塚本邦雄門下で前衛短歌の影響を受けた歌風で、実作だけでなく歌論にも新鮮味があったはずであるが、今回の歌集はだいぶん大人しい。実際にいい年をした大人になって今では老年を迎えようとしているわけで、40歳以降の作品が角のとれたまろやかな味わいになり、歌人自身その作風の変化を楽しみ満足している様子がうかがわれるのは、目出度いことではある。帰来の優等生ぶりがおさまるところにおさまったうえで、少し抑制された荒々しさも仕込んである。よくまとまった歌集なのだろうけれど、驚きがない。情念やエネルギーに共振して震えるようなこともない。そして少しもアンドロイドっぽくない。人造人間らしからぬほど高度に調節された人造人間の抒情をシミュレートしたことが真の狙いで、そのなんでもなさに真に驚かねばならないのかもしれないが、それにしても事件前の平淡さには注意の向け方を分からなくさせるところがある。
泣く機能がないひとなのか朧夜をかくも奇妙なこゑあげて行く
むかし銭湯だつた空地に秋草の名もなく揺れてやがて静まる
映画のなかばのあれが本心だつたのか淡くあかるい嗚咽のやうな
歴史的仮名遣いで抒情味が増しているような気もする。なかば打ち捨てられどこか壊れている機械に対するノスタルジーのようなものが漂っているような気もする。なにもはじまらないうちにおわってしまったものの悲哀がそこはかとなく流れているような気もする。ふりかえってみてこれだけ感想の言葉が出てくるようであれば、製作者側としては成功なのだろうか? 読者としてはすっきりしないのだが・・・
ふりかえってみれば盟友穂村弘の17年ぶりの歌集『水中翼船炎上中』もどことなくパワーダウンの印象があった。中年期は凶暴老人になる前の試練の時なのかもしれない。
荻原裕幸
1962 -
参考: