『空海入門』(祥伝社 1984, 中公文庫 1998)から37年、ひろさちや晩年の空海語り。空海の著作自体に言及することが多くなっているところ以外で語られる基本的な内容はほとんど変わりはない。空海像がより柔軟になり、超人色がすこし世俗的な光の下に見直されている部分もあるが、即身成仏を説き且つ実践したという空海解釈は揺るぎない。仏の世界に実践的に飛び込む密教の教えと実践の体系そのものがが空海の仏教観であり生き方でもあることがくり返し説かれていて、そこに論理的な破綻のようなものは見られないので、ひろさちやの空海が平安時代を生きた空海の像としてかなりリアルに迫ってくる。学者とは異なる、どちらかといえば在野の仏教研究者としてのアプローチが、空海の息遣いのようなものをうまく拾い上げているような印象だ。本人も学者ではないと言いながら、仏教に関する造詣の深さは驚異的なもので、ほかの書物ではあまり積極的には語られないような希少価値の高い教えも、何ごともないかのようにさりげなく伝えてくれている。それはおそらく「世俗の物差し」と「仏教の物差し」、「歴史的事実」と「宗教的真実」の違いを踏まえたうえで、双方の捉えかたをともに解説している姿勢が生み出す果実なのだろうと思う。ひろさちや的には「仏教の物差し」「宗教的真実」に重きがあるのはその語り口から理解はできるが、読者としてはそれを尊重しながら自分の役に立つ読み方をしていけばいいのだと私は思う。
空海といえば入定伝説があり、信者にとってはいまも生き続けている祖師ではあるのだが、史実としては『続日本後記』などの正史に荼毘に付されたことが記録されていること、この双方を両者とも否定することなく語るところに本書の著者の特色が出ている。「世俗の物差し」と「仏教の物差し」の配分あるいは重ね具合は読み手の考え方に最終的には委ねられているものの、ひろさちやの口吻に真っ向対立して対話するとなると、けっこう大変そうではある。
目次:
第1章 密教とは何か?
第2章 風来坊の空海
第3章 唐に渡った空海
第4章 帰って来た空海
第5章 空海のライヴァル
第6章 空海と高野山と東寺
第7章 世間と出世間で大活躍
第8章 いまも生きる空海
参考: