読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ドナルド・バーセルミ『パラダイス』(原著 1986, 渓流社 現代アメリカ文学叢書④ 三浦玲一訳 1990)

アメリカのポストモダンを代表するバーセルミの第三長篇。主人公の年齢と近いこともあってか世間や出来事や自分の考えに対しての距離感に親近感を覚えた。

本書『パラダイス』は、53歳の建築家サイモンが、妻と大学生の娘が出ていったあとの部屋で、仕事にあぶれた二十代なかばのモデルの女三人と、しばらくのあいだ共同生活を送り、そののち別れるというお話。妻も娘も含めて登場する人物それぞれが当たり前のように性交を繰り返しながら淡々と日が過ぎる。別れや諍いはおこるものの、澱んだり沈んだりすることを許さないような存在の軽さに各自が乗っているような空気が流れている。断章形式の積み重ねのなかに、サイモンと思われる人物と心理カウンセラーとおぼしき中年男性との対話がしばしば挟まれるが、どちらが悩みや齟齬感を相談しに来ている患者か常に分からなくなるようなシーンが繰り返されることで、ますます深刻さが薄れ、ただただ漂流に付き合っているようなあてどなさに導かれていく。起こっている出来事や活動している空間には雲泥の差があるにもかかわらず、本書を読みながら私が思い浮かべていたのはベケットの『ゴドーを待ちながら』で、ただただ言葉が終わることなく浮かんでは過ぎ去っていく人間の基本的な姿を確認していた。悩んでいるけれど、悩んでいる自分の軽さや愚かしさを同時に味わいつくしてしまっている乾燥した干物のような感情生活。干からびているけれどもバカにしたものでもない交流の世界。豚のパラダイスなのか人間のパラダイスなのか、どちらとも言い切れないが、パラダイスといえばパラダイスであった日々。パラダイスと振り返ることも可能である日々と、それが過ぎ去ったあとのちょっとした凪ぎの時間。

バーセルミに大きな影響を受けたという高橋源一郎の小説作品には感じたことのない乾いた諦念のようなものが味わえる一冊。


ドナルド・バーセルミ
1931 - 1989
三浦玲一
1965 - 2013