読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

リチャード・ローティ『哲学と自然の鏡』(原著 1979, 産業図書 野家啓一監訳 1993)

認識論から解釈学へ、体系的哲学から啓発的哲学へ、真理の発見から会話の継続へ。先行するデューイ、ヴィトゲンシュタインハイデガーの三人の哲学者の思考の歩みに多くを負いながら、ローティが旧来の思考の枠組みを多方面から掘り崩していこうとしている闘争開始の書。日本語訳で500ページにも及ぶ大著は、デカルト以来の心身問題、物質と非物質との錯綜した結びつきについて、論文が書かれた時代における分析哲学の最新動向などを取り入れながら、解きほぐして語りなおそうとしている。読者にとっては様々な会話の糸口が示されているような書物であるのだが、一般読者向けというよりは、同業者への宣言書のような体裁なので、なかなか会話が継続できるような気分にはさせてはくれない。すこし黙って、ローティ側からの語りかけのなかに含まれる気になる言葉、気になる人物について調べたり考えたりしながら、自分のターンを準備する必要がある。
デューイ、ヴィトゲンシュタインハイデガーの三人のほかに、セラーズ、デイヴィッドソン、ファイヤアーベント、クーン、クリプキクワインなどの現代哲学者や、批判対象としてのデカルト、ロック、ヒューム、カントなどの古典も読んだり読み返してみたりしたら良いのではないだろうかと本書は誘いをかけているようでもあるのだ。言葉を発する前には、言葉を受容していく必要もある。


【付箋箇所】
23, 25, 28(以上序論), 3, 5, 11, 13, 14, 19, 35, 42, 43, 69, 105, 115, 119, 129, 146, 148, 153, 155, 157, 160, 168, 169, 171, 190, 198, 202, 127, 258, 338, 357, 370, 374, 420, 424, 428, 432, 441, 444, 486

目次:
序論

第1部 鏡のような人間の本質
心の発明
心なき人間

第2部 鏡に映すこと
「知識論」という観念
特権的表象
認識論と経験心理学
認識論と言語哲学

第3部 哲学
認識論から解釈学へ
鏡なしの哲学


リチャード・ローティ
1931 - 2007
野家啓一
1949 -

参考:

ja.wikipedia.org