読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

源実朝の『金槐和歌集』(1213年までに成立, 樋口芳麻呂校注 新潮日本古典集成44 1981)

和歌を読みはじめたのが数え14歳、その同じ年の1205年に完成したばかりの『新古今和歌集』を手にして耽読、自家薬籠中の物としていく。1209年には藤原定家から『詠歌口伝』を受領し、本歌取り中心の歌作法を学びながら、定家の教えに囚われない大胆かつ独自性のある歌作を続けていく。生涯京都に行くことのなかった実朝は、新古今の歌風に憧れながらも、当時の後鳥羽院中心の王朝サロンのなかには入らず、文化的には洗練さを欠く東国武家社会のなかにあって、孤独に歌を詠みつづけていたことで、独自の歌風を作り上げていった。20歳前後で家集を編み、その後の28歳での暗殺までの期間の歌作の量は減っていった、若い天才詩人。憧れの対象であった後鳥羽院も、おなじく20歳前後ですでに完成された文体をもっていたのだから、実朝だけが特別な天才というわけでもないのだが、それにしても驚くべき早熟ぶりであり、凄まじい歌作と編集の集中度であった。鎌倉の将軍家の血を受け継ぎ、つねに死を予感しながらの人生であったことも大きく影響していよう。その歌は先行する複数の歌から言葉をいくつか採用し組み立て上げた、およそオリジナリティとは無縁のものであっていいはずのものでありながら、実朝独特の冷え冷えとした寂寥感で美しくコーティングされた輝きを放つものが多い。万葉調のものであれ新古今調のものであれ、孤独で透徹した眼差しで捉えられたものが、妖しくも美しい光を放っている。

かたしきの袖も氷りぬ冬の夜の雨降りすさむ暁の空
五月山木の下闇のくらければおのれまどひて鳴く時鳥
うばたまや闇のくらきに天雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなる
もののふの矢並つくろふ籠手のうへに霰たばしる那須の篠原

見やるものに心が貫かれて放心するほかないものを象徴性の強い歌の言葉で留め置いている奇蹟的な光景のように見える。

ちなみに、新古今集からの本歌取りで多いのは藤原良経、式子内親王藤原家隆藤原俊成といったところで、師匠である藤原定家の歌から変奏することは少ない。本歌取りの指摘をはじめ、新潮日本古典集成の『金槐和歌集』の樋口芳麻呂校注と日本語訳は、実朝のひとつの歌に対しての鑑賞をサポートしてくれてかなり助かる。

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【付箋歌(新潮日本古典集成版歌番号)】
11, 31, 35, 57, 86, 106, 154, 159, 160, 176, 206, 219, 251268, 275, 285, 301, 302, 305, 306, 346, 368, 401, 466, 526, 538, 549, 560, 569, 575, 601, 604, 609, 613, 615, 618, 620, 621, 633, 634, 641, 656, 671, 677, 678, 682, 704, 732, 736


源実朝
1192 - 1219
樋口芳麻呂
1921 - 2011