『新古今和歌集』(1205)編纂にに向けて当代の筆頭歌人23人に百首歌を詠進させ、後の世から見ればひとつの時代を画することとなった記念碑的な応制百首。
当初、俊成を擁する御子左家の歌人、殊に定家が詠進者の中に含まれていなかったところを、和歌の世界の重鎮である俊成自身がおおいに動いて、息子定家をメンバーにねじ込むことに成功しなければ、日本の歌の世界は現実とはかなり変わったものになっていた可能性があるところが興味をそそられる。
この百首歌で後鳥羽院が定家に目を留めなければ、『新古今和歌集』の撰者に定家はなっていなかったであろうし、『新古今和歌集』にいたるまでの数々の歌の宴で定家が己の資質を開花させていくこともなかったであろうことが想像されるのだ。
不惑に届こうとするいい年をした人間が、老いた父親の助けを借りてようやく陽の当たるところに出てきて、傍から見れば博打のような歌いぶりの歌を披露している。『正治二年院初度百首』には、後鳥羽院自身をはじめとして、式子内親王、藤原良経、慈円、藤原家隆など、鮮烈な歌風を吹き込む歌人が多くの歌を残しているのだが、定家はそのなかにあって新しいなどという表現では済まされないような、和歌という世界のルールから一歩半歩はみ出しかねない独特な歌を提示している。
掲載どおりの順番に読んでいくならば、新しさもありながらふくよかに完成された佇まいを持つ家隆の歌に比べて、この百首歌の定家の歌はとてもバランスが悪いような印象を与える。定家の百首は、従来の31文字で表現する歌の世界から見れば、過剰な言葉と内容を入れ込んで、その上で和歌としてのうるわしい姿を新しく作り上げようとしている奮闘が見える。そのため、『正治二年院初度百首』においては、一人だけ違ったルールのもとにプレイしているプレイヤーのような不思議な印象を受けるのだ。
諸手を挙げて評価できるというような、万全の歌などでは決してないが、何時までも色褪せない青臭さがこの定家の百首歌には満ち満ちている。いい年をした中年の、あまり褒められたものではない、芸道の一段階。
定家以外にも秀歌はいくらでもあるし、目の付け所もほかに色々ある。若き後鳥羽院と惟明親王にみられる紛れもない歌才とそのみずみずしい発露や、老齢の小侍従の歌の可憐繊細な詠いぶりなど、心すくような、濁りを残さないような歌はある。
それにもかかわらず、澱のように心に残るのは、中年定家のどちらかといえばみっともないチャレンジであったりする。
定家は数え80歳まで、父親の俊成は91歳まで生きた。御子左家は長寿の家系のようで、そのことも、個人の命運にも、家の運命にも、良いほうにはたらいてくれたようである。与えられた武器と、創りあげた武器で、戦い続けられるだけ戦っている各人の姿が、歌や歌論や判詞を通して今でも蘇って来てくれるのは、後世に生きる者にとってのひとつの武器であり、一片の救いでもある。
御子左家の人物の生は、いまでも生々しい。
定家詠:
秋暮れてわが身時雨とふる里の庭は紅葉の跡だにもなし
待つ人の来ぬ夜の影に面(おも)慣れて山の端(は)出(いづ)る月も恨めし
庭の面(おも)は鹿のふしどと荒れ果(はて)て世々(よよ)ふりにけり竹あめる垣
時間の経過と空間の重層化を共に31字のなかで表現しようとして成功している歌であるが、歌の姿、言葉のトータルなプロポーションは、歌ごとに独特である。言葉自体の情報量が多く、意味解釈に柔軟性をもたせる言葉同士の繋がりも多層化していて、単純な像に収まろうとはしない。
【付箋歌】
後鳥羽院(1180-1239, 享年60, 詠進時21)
9, 25, 26, 32, 52, 61, 97,
三宮惟明親王(1179-1221, 享年43, 詠進時22)
110, 118, 166, 175, 193, 196,
前斎院式子内親王(1149-1201, 享年53, 詠進時52)
208, 211, 221, 229, 230, 242, 252, 273, 274,
御室主覚法親王(1150-1202, 享年43, 詠進時51)
314, 336, 338, 353, 358, 390,
藤原良経(1169-1206, 享年38, 詠進時32)
428, 431, 448, 455, 466, 479, 497,
源通親(1149-1202, 享年54, 詠進時52)
578
慈円(1155-1225, 享年71, 詠進時46)
662, 667, 690,
藤原忠良(1164-1225, 享年62, 詠進時37)
719, 728, 733, 765, 777
藤原隆房(1148-1209, 享年62, 詠進時53)
821,
藤原季経(1131-1221, 享年91, 詠進時70)
藤原経家(1149-1209, 享年61, 詠進時52)
1044, 1048,
釈阿藤原俊成(1114-1204, 享年91, 詠進時87)
1137, 1150, 1170,
藤原隆信(1142-1205, 享年64, 詠進時59)
1243, 1263, 1267,
藤原定家(1162-1241, 享年80, 詠進時39)
1311, 1323, 1353, 1357, 1365, 1374, 1380, 1393
藤原家隆(1158-1237, 享年80, 詠進時43)
1408, 1427, 1432, 1442, 1443, 1460, 1464, 1465, 1467,
藤原範光(1154-1213, 享年60, 詠進時47)
1543, 1544, 1562,
寂蓮藤原定長(1139?-1202?, 享年64, 詠進時62)
1609, 1633, 1634, 1635, 1653, 1654, 1696, 1697
生蓮源師光(1131?-1203?, 享年73, 詠進時70)
1710, 1740, 1782, 1789,
静空藤原実房(1147-1225, 享年79, 詠進時54)
1811, 1852, 1853,
二条院讃岐(1141-1217, 享年77, 詠進時60)
1989, 1997,
小侍従(1121?-1201?, 享年81, 詠進時80)
2028, 2045, 2071,
宜秋門院丹後(?-?, 詠進時50前後)
2143, 2169, 2182,
信広(仮構の人物)
2233, 2249,