読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

藤原俊成『古来風躰抄』(初撰本1197, 再撰本1201 小学館新編日本古典文学全集87 歌論 訳・校注有吉保 2002)

式子内親王(1149-1201)が『千載和歌集』編纂の仕事を終えた藤原俊成(1114-1204)に依頼して執筆されたものとされる歌論。一般に歌をどのように詠むのがよいかという趣意を書きあらわすことを、当時たいへん貴重であった紙を贈られるとともに要請された。初撰本が書かれたのが俊成84歳の時で、それを考えると老体にも関わらず立派な仕事をなし遂げていることに、まず賛嘆の念を抱く。
『古来風躰抄』は、歌論といいながらも、実際は『万葉集』から『千載和歌集』までにいたるまでの秀歌アンソロジーといった趣きが強く、俊成のコメントは冒頭の導入解説部分を除くとピンポイントでごく少量スパイスのようにちりばめられているだけである。『万葉集』から191首、『千載和歌集』までの七つの勅撰和歌集から400首弱を選出していて、その選択にこそ俊成の鑑識眼がいちばんよく働いていると思われるのだが、これは現代の目から見ると、すでに俊成やその息子の定家の活動の影響下にあるために、独自性がいまいちわかりづらくなっている。『小倉百人一首』などに採られてすでに有名になっている歌が多く含まれているために、俊成の鑑識眼の特異性が見えにくくなってしまっていて、採られなかった多くの歌と比較して改めてその歌のどこがよいのか考えるまでにはいたらないせいであろう。この辺は俊成ー定家の歌の良し悪しの判定に異を唱える人、例えば塚本邦雄のような人たちの発言と比較しながら自分で読み取っていくほかないことであろう。

まあ、そんなことを考えなくても一つの優れたアンソロジーとしてかなり容易に享受することができるめずらしい古典作品であるので、百人一首鑑賞の延長のような感覚で読み取っていけばいいものであるとも思う。

特徴としては、歌というものは時代によって変化していくものであるということを大前提として語り、その意識に沿って時代ごとの代表的な歌を選出していることで、編纂のスタイルも『万葉集』から時代を下って直近の『千載和歌集』まで詞華集ごとに歌の特徴を出そうとしていることが読み取れる。

万葉集』収録歌は万葉仮名と俊成による仮名読みの併記になっているために、『古今和歌集』以後の仮名表記との時代的な違いが強く印象付けられる。万葉仮名は仮名といっても実際は漢字で、その表記が主流である限り利用できる層は仮名文字に比べてだいぶ知識層寄りに制限される。万葉仮名から仮名表記に代わることで文字習得が容易になり、仮名表記で表現し流通させることが驚くほど盛んになったことが俊成のコメントからも感じ取れるようになっているところがなにより素晴らしい。読みすすめるだけで、そのことが無理なく納得できるのだから、これは貴重な批評的営為なのである。朗詠主体の歌の発生に、文字での生産と流通と消費蓄積が組み込まれるという一大事が、なにはともあれ肌感覚で現代においても感じられるのだから、体験しておかない手はない。『万葉集』の歌が全体の約三分の一という大きな比率で取りあげられているところが、俊成の編集感の冴えているところだと、後の世から見ると称賛したくもなる。

沙弥満誓の歌(万葉 巻三 354)
世間乎 何物尓将譬 旦開 榜去師船之 跡無如
世の中を何に喩へむ朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡なきごと


俊成と式子内親王の歌はそれぞれ一首づつ、『千載和歌集』収録の歌から採られている。

式子内親王(夏 147)
神山の麓に馴れし葵草引き別れても年ぞ経にける

俊成(秋上 259)
夕されば野辺の秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里

『古来風躰抄』作成依頼者である式子内親王が、出来上がったものを微笑みながら見ている姿がなんとなく想像されるのだが、その想像はそれほど間違ったものではないだろうと、勝手ながら満足している。


藤原俊成
1114-1204

式子内親王
1149-1201

有吉保
1927 - 2019