平安末期から鎌倉初期の激動の時代に、長らく治世者の立場として特異な存在感を保っていた後白河院。当初、帝の器に非ずと言われ非正統的な芸道である今様に入れあげていた皇子が、権力争いのひとつの駒として担ぎ出されて皇位に着いた後、宮廷内のパワーバランスの波に揺られ、それを乗りきるなかで、徐々に流れを操る主要プレイヤーとして誰もが注目する存在となっていったその歩みを、後白河院が終生愛し追求した今様の歌の数々とともに、克明に浮き上がらせ、後白河院の本質に迫ろうとしたのが、本書『後白河院 王の歌』である。
王家の嗜みとして和歌の教えも受けていた後白河院であるが、情熱を傾けたのは現代的で世俗的な今様の世界であった。純粋な愛好が度を越す追求となり、後に神仏に捧げる芸としての神事にまで昇華されていく様は、和歌の朗詠の世界よりも激しく、神仏に通じ、神仏を揺るがしうるとリアルに感じさせる力をもって紹介されている。神仏からのお告げの存在が公的な話題にもなるような時代において、後白河院は今様の歌謡によって神仏と交感しようとしたと見られている。
そもそも上皇は今様を介して神仏に通じることにより、神仏からの外護を期待していた。(中略)後白河上皇はこの神仏からの守護を得る望みを今様に託し、神仏の意思を直接に聞くためにも今様が必要と考えた。度重なる熊野詣はそれぞれの時期に上皇が神の意志を聞いたり、確かめたりするためのものとして行われ、今様は神との交信の媒介をしていたのである。
(Ⅲ 王の身体 8「忍辱衣を身に着れば」より)
後白河院は仏道にも熱心で、新興の専修念仏の法然などとも関係があったようであるが、仏の言葉を声に出して念じあげたり詠いあげたりすることは、身心に直接はたらきかけて、おのれが見聞きしたいものを呼び寄せて受容する体勢をつくりあげるのであろう。命にもかかわる勢力争いのなかのひとつひとつの判断を、強烈な雑音の飛び交う中で孤独に選択していくには、自分より大きく確かなものが必要で、そこに信仰が生まれる必然性がある。
輪廻転生と解脱を基本的な枠組みとする仏教の世界を、今現在容易に信仰することはむずかしいが、それに比べれば、芸道の追求のなかに神秘的な瞬間や目覚ましい感覚の世界が発現することは信じてもいいことのように思えもする。後白河院が今様の歌唱を通じて神仏と交信したと信じ得たであろうことは、『梁塵秘抄』や『梁塵秘抄口伝集』などの著作から、そして本書の解説などから、想像がつく。正しい読み方であるとはいえないのだが、日常的判断を越えたところの感覚であったり思考を拓く道としてのもの(後白河院の場合は今様)に支えられた一人の人物の人生というものも本作から読み取れて、参考になった。
【付箋箇所】
3, 4, 22, 28, 59, 88, 116, 136, 176, 186, 192, 194, 197, 218
目次:
はじめに
Ⅰ 王の記憶
1 遊びをせんとや生まれけむ
2 遊びに歩くに畏れなし
3 武者の好む物
Ⅱ 王の歌
4 君をも民をも押し並べて
5 且つは権現御覧ぜよ
6 千手の誓ひぞたのもしき
Ⅲ 王の身体
7 欣び開けて実生るとか
8 忍辱衣を身に着れば
9 我等が宿世のめでたさは
Ⅳ 王の祭り
10 喜び身よりも余るらむ
11 君が代は千世に一度ゐる塵の
12 半天の巖ならむ世まで
Ⅴ 王の涙
13 龍女は仏に成りにけり
14 峰の嵐の烈しさに
15 ゆめゆめ如何にもそしるなよ
Ⅵ 王の力
16 十悪五逆の人なれど
17 空より参らむ
18 沈める衆生を引き乗せて
Ⅶ 王の政治
19 残りの衆生達を平安に護れとて
20 慈悲の眼はあざやかに
21 八幡太郎は怖しや
Ⅷ 王の死
22 君が命ぞ長からん
23 最後に必ず迎へ給へ
24 風吹かぬ御世にも
参考: