読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

冨田恭彦『バークリの『原理』を読む ―「物質否定論」の論理と批判』(勁草書房 2019)

バークリは、物質を否定し人間の知覚する精神と神の存在のみを実体であるとした18世紀アイルランドの哲学者で聖職者。主著『人知原理論』は1710年の刊行。

バークリの物質否定を強く打ち出した観念論は、ニュートンの自然科学的考えが力を持っていた当時の知識階層の社会からも強く否定され、長年の友人である『ガリヴァー旅行記』のスウィフトからもからかわれていたというものであるのに、なぜ21世紀の現在、わざわざ丸々一冊の本を使って批判的読解を試みているのだろうかというところが気になって手に取ってみた。

内容的にはジョン・ロックの観念論を批判する意図をもって書かれた『人知原理論』を、ロックの『人間知性論』の思想の側から批判し直すというのが骨子となっていて、著者冨田恭彦のロック研究の延長としてこのバークリ論が書かれたことがわかった。

バークリがロックを批判する根底に、ロックの思想への誤解があると著者は指摘している。心にあらわれる観念をバークリはもっぱら心像として扱っているのに対し、ロックは概念として考えているところに齟齬が発生していると説く。想像力が産出する心像と、知性が産出する概念の違い。この違いを説得力あるものとして描き出すために、本文の半分くらいを占めるのではないかというくらいバークリの『原理』から多くの文章が引用され、丁寧に解説を付けられた上で、バークリの思想の枠組みを浮かび上がらせていく。

バークリの『人知原理論』はちくま学芸文庫から2018年に宮武昭訳で刊行されているが、それを読んだだけでは、変なことを考える人がいたものだくらいの感想で終わってしまうことが多いと思う。私がまさにそうだった。

本書は基本的にはバークリの思想に対して批判的でありながら、バークリの特異な世界観が持つシンプルな構成や過剰な抽象的思考に対する批判の側面については現代においても有効化できると好意的に取り上げてもいる。またバークリを批判することでロックの観念論との関係が明らかにされ、ロック思想への導きともなっている。

現実の時間の流れではロックからバークリへという順に展開されてはいるが、本書ではバークリからロックに遡行しつつ、ロック思想をより厳密なものとして召喚するようにもなっている。

バークリはその主張の特異さもあって好奇心から読んでみようと思うことはあっても、ロックの『人間知性論』はなかなか読むきっかけさえ掴むことができない著作であろう。現在岩波文庫も品切れ状態らしいし、全四巻もあって分量もかなり手ごわい。

冨田恭彦リチャード・ローティの弟子筋の研究者でありローティの紹介者・訳者としての印象ばかりだったが、本書でロック研究者の側面も意識することとなった。『人間知性論』を直接読むよりも、まずロックを冨田恭彦の案内で辿っていくことで、観念論の世界に親しんでいくことを目指したい。

www.keisoshobo.co.jp

【付箋箇所】
9, 24, 33, 42, 47, 51, 60, 68, 80, 84, 100, 106, 119, 148, 152, 203, 210, 218, 231, 243, 245, 250

目次:
第1章 「序論」を読む──『原理』の目的と、「抽象観念」説批判
第2章 誤読を解く──「エッセ・イズ・ペルキピー」は物質否定論の核心部分ではない
第3章 物質否定論の核心部分──「似たもの原理」と「マスター・アーギュメント」
第4章 神と自然法則──物質のない世界
第5章 反論と答弁──一四の反論に答えて
第6章 物質否定論のメリット──懐疑論無神論を退ける
第7章 バークリの抽象観念説批判・再考──心像論的「観念」理解が無視したもの
第8章 物質否定論の歪みの構造──バークリ思想の影
終 章 新たな創造的提案としての物質否定論──バークリ思想の光

ジョージ・バークリ
1685 - 1753
冨田恭彦
1952 -