読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

吉田量彦『スピノザ 人間の自由の哲学』(講談社現代新書 2022)

スピノザを読むことで大きいのは、人間という種の基本スペックを確認できるところ。『神学・政治論』における「自然権」、『エチカ』における「コナトゥス」から、個人としての存在の構造と社会や国家のあり方の必然的枠組みを、がっちり描き出してくれている。スピノザの書物はあまりにも精巧に論理が組み上げられているため、逆に幻想的で眩暈を起こすようになって、直線で迷うような不思議な感覚になってしまうことも多い。そこを繰り返し読んで、まっすぐ進むことに慣れていくのがスピノザとの付き合い方になるのだろうが、『エチカ』も『神学・政治論』も通読しようと意気込むと、再読、三読の場合でもなかなか読み通すのは難しい。どちらも類似の書物が見当たらない、今でもなおきな臭さが消えないめずらしい作品であるからだ。ともに全体をある程度知りながら、いつでもつまみ食いできるようになるのが理想で、そのためには一般読者層向けの解説本はいくらあっても良いと私は思っている。

本書の著者吉田量彦は、20世紀後半のフランス語圏でのスピノザ研究と関わりなく、ドイツ・ハンブルク大学で学びドイツ語の論文で博士号をとったスピノザ研究者。博士論文『理性と感情 スピノザの政治哲学』はドイツ語版のみで、翻訳あるいは日本版は存在しないのが非常に残念である、そう思わせる快活さが本書『スピノザ 人間の自由の哲学』にはあった。スピノザ思想の核心部分をサラッと印象的に提示する手腕には。目を見張るものがある。しかもフットワークが良く、スピノザの全著作と生涯の歩みを、さまざまな配合で組み合わせて提示してくれているところが良い。語り口も読み手重視で、いちばん気になる所を切り出して味わわせてから、解説を付けた後でもう一度味を確かめさせるという配慮がいたるところで効いている。

それではなぜ、「哲学する自由」を踏みにじってはいけないのでしょうか。スピノザの用意した答えを、細かい議論を後回しにして最初に提示しておくなら、それは「無理だから」です。
(第6回 「なぜ「哲学する自由」が大切なのか――スピノザの思想(二)」より)

 

理性は、人間の初期装備ではないのです。
(第11回 「ひとはどういう生き物か――スピノザの思想(六)」より 太字は実際は傍点)

 

このように、「自らの存在に固執しようとする」人間の力=コナートゥスは、最初から具体的に内実の決まったものではなく、むしろ一人一人の人間がそれぞれの人生を送るなかで「これが自分の存在(ありかた)だ」と考えたことに、つまりひとそれぞれの自己理解に大きく左右されます。人間はどうあがいても結局自分がそう考えるように生きようとするし、それ以外の生き方を目指すことが精神の構造上不可能になっている生き物なのです。
(第12回 「ひとはどうして感情にとらわれるのか――スピノザの思想(七)」より)

 

個人的には、かなり好きな語り口だ。よほどの確信をもっていない限り破綻してしてしまうであろう危うくも粋な振舞いが見える。

全15章409ページ。新書にしては大きめの著作だが、いたって軽快に読める。さらに、スピノザの生涯と主要著作について、最新研究の成果も取り入れながらバランスよく論じ切っているところにも好感が持てる。既刊の著作としては、本書の他には光文社古典新訳文庫の『神学・政治論』の翻訳があるだけなので、今後の動向を注目して見てみたい。

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【付箋箇所】
112, 147, 152, 162, 192, 205, 208, 209, 211, 214, 218, 250, 257, 265, 270, 272, 278, 282, 287, 290, 295, 305, 313, 325, 327, 331, 350, 354, 361, 394

目次:
はじめに
第1回 なぜオランダで生まれたか――スピノザの生涯(一)
第2回 破門にまつわるエトセトラ――スピノザの生涯(二)
第3回 町から町へ――スピノザの生涯(三)
第4回 どんな著作を遺したか――スピノザの思想(一)
第5回 なぜ『神学・政治論』を書いたのか――スピノザの生涯(四)
第6回 なぜ「哲学する自由」が大切なのか――スピノザの思想(二)
第7回 聖書はどんな本なのか――スピノザの思想(三)
第8回 自由は国を滅ぼすか――スピノザの思想(四)
第9回 激動のオランダと『エチカ』の行方――スピノザの生涯(五)
第10回 神はわたしの何なのか、わたしは神の何なのか――スピノザの思想(五)
第11回 ひとはどういう生き物か――スピノザの思想(六)
第12回 ひとはどうして感情にとらわれるのか――スピノザの思想(七)
第13回 ひとは自由になれるのか――スピノザの思想(八)
第14回 彼は自説を変えたのか――スピノザの生涯(六)と思想(九)
第15回 「死んだ犬」はよみがえる――その後のスピノザ
おわりに
おわりのおわりに

吉田量彦
1971 - 
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677