読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

上野修『哲学者たちのワンダーランド 様相の十七世紀』(講談社 2013)

講談社の月間PR誌『本』に25回にわたって連載されていた十七世紀哲学史エッセイを一冊にまとめたもので、内容的にはだいぶくだけた感じの思想紹介になっている。取り上げられているのはデカルトスピノザホッブズライプニッツの四人で、上野修の著作の中ではライプニッツにはじめて本格的に言及しているところが特徴的。神学の構成する神と人間との相互関係が織りなす世界に、無記無底の無限あるいは空虚な次元が横溢しはじめたことを、全身で受け止めた哲学者それぞれの思考の枠組みが、非常に特異なものとして関心をかきたてるような、それでいながら軽いタッチで描き出されてる。

十七世紀は、いわば世界の底が抜けてしまった時代だ。よく言われるように、科学の勃興とともに世界は地球中心に閉じた世界からどこにも中心のない無限宇宙になる。地理的にも大航海とともに西洋の外部が露呈してくる。政治的にはチャールズ一世の処刑に象徴される革命の時代だ。いろんな意味で、それまで自明だった足元の支えがふっと消え、底が抜ける。そんな世紀である。そしてこの時代、哲学も底が抜け、ある種の「無限」が口を開く。
(序章「世界の底が抜けたとき」より)

口を開いた無限に対して、デカルトスピノザホッブズは無限に飛び込み開いた口を開けるところまで開こうとしたような思索を行なった。それに対して一世代後のライプニッツは開いた無限の脅威に立ち向かい「予定調和」の神学的世界を近代的に再構築する。破壊力からいえば前者三人に引けをとっていると考えるのが妥当だと思うが、ライプニッツモナドジーも奇妙さからいったら前者三人に劣らない。近代のはじまりの西欧にわりと近い距離で存在していた全的人間、人間思考と人間活動の全領域を相手取っていた人物を、時系列的意味合いにも目配せしつつ、通覧できるのは価値あることだと感じた。この四人につづく、ヒューム、カント、ドイツ観念論者たちの思想の理解にも、道を拓いているようなところもあって、読み通すとちょっと視界が開けたような感じを持つことができる。

bookclub.kodansha.co.jp

【付箋箇所】
8, 9, 55, 70, 97, 100, 115, 119, 130, 147, 163, 194, 202, 216

目次:
序 章 世界の底が抜けたとき
第1部 デカルト
第2部 スピノザ
第3部 ホッブズ
第4部 ライプニッツ
終 章 十七世紀は終わらない

上野修
1951 - 
ルネ・デカルト
1596 - 1650
トマス・ホッブズ
1588 - 1679
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677
ゴットフリート・ライプニッツ
1646 - 1716