読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

竹村牧男『禅のこころ その詩と哲学』(ちくま学芸文庫 2010)

仏教学者竹村牧男の思想の根幹は臨済禅で、系譜としては釈宗演‐鈴木大拙‐秋月龍珉‐竹村牧男となる。著作における特色としては禅が大乗仏教であることを強く押し出しているところが挙げられる。本書の第七章「大悲に遊戯して<大乗>」のなかの小題のひとつにも「禅は大乗仏教である」とあり、禅の自力救済的なイメージとは異なる側面こそ本来的なものであると説いている。

真正の禅者であれば、この「願って悪趣に生まれる」(引用者注:『趙州録』第182段の話)ことを胸にたたんでいることだろう。ここにこそ、大乗菩薩の心がある。(中略)人間社会の悲嘆・苦悩を、禅者は素通りすることはできない。悲惨な現実の中にあって、ともに苦しみ、憤る。ただし禅者はそのただ中に風流を認める。苦海にあって洒々落々とした境涯をもたずさえているのである。

人をおもう大悲の心と世を愁う心が詩の言葉を湧きたたせ、風流の心が言葉を整える。そこに禅者たちの詩となる言葉が生まれ出る。漱石道元良寛西行芭蕉明恵などを引き合いに出しながら、禅者の詩に通じずにはおかないこころのありようを描き出している。特に曹洞宗道元良寛については宗派を超えた強い思い入れが見えて、読んでいるほうも心動かされるところが多く描き出されている。

ほかには、座禅が身体を通した悟りの道であるとして、坐り方などについて解説しているところも興味深い。

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【付箋箇所】
61, 70, 81, 111, 113, 124, 133, 139, 145, 155, 167, 182215, 235, 242, 258, 265, 266

目次:
1 真実の自己を尋ねて<実存>
2 「春は花」の風光<言語>
3 永遠の今に生きる<時間>
4 仏に逢うては仏を殺す<身心>
5 平常無事のこころ<行為>
6 自他不二の世界<協働>
7 大悲に遊戯して<大乗>
付編 良寛における詩と哲学―『法華讃』の世界

竹村牧男
1948 -