読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店 2022) 初読

柄谷行人81歳での最新作は、枯れたという印象はまったくないが、焦りのようなものが消えた円熟した語りのスタイルによる思考の到達点を見せてくれている。

共同体による贈与と返礼、国家による略取と再分配、資本による貨幣と商品の交換、国家や資本を揚棄するかたちであらわれる互酬共同体の高次元での回復、この四つの交換様式の根底にあり且つ交換に付随して生じる観念的力、信用、信仰などの強制力についての考察。それぞれの力の強迫反復について語りながら強迫的叙述にはなっていないこと、絶望的な状況を論じながら絶望的な色に染まっていないこと、希望を語りながら少しも浮つきも焦りもないところは、本書以前の著作と比べても天使的な域に達しているような印象さえ受ける。失敗も含めてやるべきことをやって来た人の現在地が虚飾なしに語られているためであろう。斎藤幸平『人新世の「資本論」』や大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ 資本主義の内からの脱出』などと比べてみると、内容豊富であり且つ雑味のない味わいで思考がゆっくり浸透してくるところが味わい深い。ほのかなユーモアと軽みが満遍なく薫染されていることも忘れがたい印象を与えてくれる。文芸批評家として出発した人ならではのフィクションやエッセイなどを読み込む視線が本文にも注にもあらわれていて長年の読者としては感慨深いものもある。ユートピアに関しての井上ひさしとトマス・モアの注記のひとつあとに、久しぶりに岩井克人の名前が挙がってきているのもちょっとした驚きで、集大成の一冊という感じが読み終えて日が経つごとに大きくなっている(現在、読後10日くらい)。

本書は『世界史の構造』と同じくらいの必読書になることは間違いないが、その場合には、研究者ではなくても注記まで目を通した方が良い。ハッとする指摘が圧縮されたかたちで惜しげもなく提示されているので、読まないでいるのは損だ。

私の考えでは、「偶像崇拝の禁止」は、定住の禁止に集約されうる。神を目に見える造形物として崇拝することだけが偶像崇拝なのではない。それは、別のかたちでも生じる。たとえば、国家、民族、共同体を崇拝することである。偶像崇拝の禁止とは、定住共同体を拒むところにある。
(第一部第四章の注(4))

ドゥルーズガタリノマドの思考と同時代を同じ思想家して生きた柄谷行人の発言は、名を挙げて論じられてはいなくても『千のプラトー』参照に誘っているようにも見える(あるいはむしろフロイトの『モーゼと一神教』か)。ほかにもおそらくいろいろ導きの糸ははりめぐらされているだろう。自分の視野や思考の幅を拡げていくのには絶好の一冊なのではないかと思う。

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目次:
序論 

第一部 交換から来る「力」
 予備的考察 力とは何か
 第一章 交換様式Aと力
 第二章 交換様式Bと力
 第三章 交換様式Cと力
 第四章 交換様式Dと力

第二部 世界史の構造と「力」
 第一章 ギリシア・ローマ(古典古代)
 第二章 封建制(ゲルマン)
 第三章 絶対王政宗教改革

第三部 資本主義の科学
 第一章 経済学批判
 第二章 資本=ネーション=国家
 第三章 資本主義の終わり

第四部 社会主義の科学
 第一章 社会主義の科学1
 第二章 社会主義の科学2
 第三章 社会主義の科学3
 

あとがき

柄谷行人
1941 -