読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジャコモ・レオパルディ『断想集』(國司航佑訳 幻戯書房 2020)

本日12月9日は106回目の漱石忌。レオパルディの『断想集』からの引用がある漱石の『虞美人草』の該当箇所である第15話と第17話の抜粋が併録されていたために、はからずも知ることとなった忌日。漱石が亡くなったのは49歳。『虞美人草』は職業作家としての第一作で1907年40歳の時の作品。引用されているレオパルディの『断想集』は38歳で亡くなった後に残された遺稿。いま現在私は51歳。今日読んだ二人よりも長く生きているというのに、教えられたり、文章の上手さに唸らせられたりで、参ってしまう。漱石もレオパルディも苦境を生きることで凡人には想像するのも困難な洞察を得ている上に、その洞察に見合った優れた表現力を先行作品を研究することで培い、自らのものとしているところが感動的である。

虞美人草』の抜粋は新潮文庫版で14ページたらずであるのに、漱石の描写力と会話の上手さがとてもよくわかる。そして100年たってもしっかり読ませるドラマ性。さすが国民的作家だと思った。

漱石が引用したレオパルディは『断想集』の36と38。断想36の漱石の英語からの重訳は「多くの人は吾に対して悪を施さんと欲す。同時に吾の、彼らを目して兇徒となすを許さず。またその兇暴に抗するを許さず。曰く。命に服せざれば汝を嫉まんと」。

病弱で思うような生活ができなかったなかでレオパルディにとって、人間観察能力はすこしても苦痛を減らし安楽に生き抜くために必要な能力であったのではないかと思う。特に若さゆえの傍若無人な振舞いと年をとってからの変化についてのいくつかの考察には極めて鋭いものがあり、「そうだね、当たっているよ」といま心から感心している。

若者は、激しい欲望を抱いている限り、生きる術を手に入れることはことができない。いうならば、社会において成功することは叶わず、社交に楽しみを見出すこともできない。反対に欲望が冷めれば、冷めた分だけ他人と自分自身とをうまく扱えるようになる。
(断想79の冒頭部 國司航佑訳)

老いゆく先についても教えて欲しいところだが、それは叶わぬ望みで、自分で想像を膨らませたり、ほかをあたってみるほかはない。

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夏目漱石
1867 - 1916
ジャコモ・レオパルディ
1798 - 1837
國司航佑
1982 -