読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

寿岳文章訳のダンテ『神曲』

ダンテの『神曲』を粟津則雄が推奨していた寿岳文章訳で読んだ。単行本の刊行は1974-76年、この訳業により1976年の読売文学賞研究・翻訳賞を受賞している。私が今回手に取ったのは集英社ギャラリー[世界の文学]1古典文学集。イタリア文学者河島英昭によるダンテ年譜と寿岳文章訳の『神曲』についての解説と、ウィリアム・ブレイクの挿画13点がついている。

本篇の構成は、原典が詩であることを十分に意識した文語と口語の混交体の翻訳と、歌ごとに訳者による要約と訳注からなっている。要約と訳注は作品をより見通しやすくするとともに理解と味わいを深めることにたいへん役立っている。また寿岳文章が寺の子であり自身得度していることもあって、訳語や訳注には神学ならぬ仏教学の用語や解釈の色合いが微かに忍ばせてあることが、ほかの訳書にはない奥行きを出している。たとえば天国篇第十九歌。

要約冒頭一文:
鷲(わし)の象(かたち)に結集した正義ある統治者たちは、一つに帰する正義の声もて、異口同音に語る。

 

本篇翻訳一連から六連まで:
翼さしひろげ、私の前に顕(た)ち現われた、――かれらの甘美な結実(みのり)ぶりを喜び合い、かたみに綾(あや)なす霊たちの作る、あのうるわしい形象(かたち)が。
かれらの一つ一つは、私の眼にも反射するほどきらきらと、日の光その上に輝く、小さな紅玉の粒とぞ見えし。

 

「形象(かたち)」に対する訳注:
鷲の。なおこの一連から三連まで、仏教的な表現を借りると、往相即還相の玄理に触れており、究竟者としての神の喜びと、神の現前に参入し得た人間の喜びの、一即多・多即一の関係が語られている。

神曲』の天国篇は神による祝福が確定している場所なので、物語も時間も基本的に動かず、過去の事績の確認と神学的な話がつづくために、理解していくのにけっこう骨がおれる。そうした中で訳者独自の解釈で導きの手を入れてくれると、息継ぎの効果もあって、かなり解れてくれるのでありがたい。ただ、訳注や要約ははじめから全部読もうとすると膨大な分量になるので、適宜必要な時に参照するのがよいと思う。

www.shueisha.co.jp

www.shueisha.co.jp

www.shueisha.co.jp

 

ダンテ・アリギエリ
1265 - 1321
寿岳文章
1900 - 1992
    

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com