読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

山田五郎『へんな西洋絵画』(講談社 2018)

絵が下手がゆえにどうにもへんな画面を創ってしまう画家と、上手すぎるがゆえに恐ろしいまでに緻密で驚異的な画面を創ってしまう画家がいるということをベースにして、時代の技術的要請と感覚的枠組みを交えながら、こころざわつくへんな西洋絵画を解説する、山田五郎ならではの興味深い西洋絵画案内の書。

下手な画家の二大巨頭としてセザンヌアンリ・ルソーがたびたび語られる。セザンヌは自分の技術力のなさを分かっているがゆえに写実とは異なる近代絵画の道を切り拓いていくことになったということを簡にして要を得た解説文で解き明かしてくれるところが図版以外の個所では本書のいちばん美味しいところ。アンリ・ルソーについては、自分の技術的拙さを自覚せずずっと自分を巨匠だと思っていた勘違いぶりとその下手であるがゆえに意図せずに突出した個性を打ち出したことがからかいを混ぜながらもきっちりと指摘されている。しかし二人とも絵画では生活していけなかったにも関わらず、自身を画家として規定し、画きつづけたというところは凄い。勤め人としてもうまくいかなかったことが逆に幸いしているのかもしれない。また、写真が広まって写実的であることの意味が下落している時代であったことにも助けられているだろう。

超絶技巧の持ち主としては、デューラーヤン・ファン・エイクが多く取り上げられている。特に油彩の技法を確立したヤン・ファン・エイクが、開拓者であるにもかかわらず油彩の技巧のひとつの頂点に達していたことは、的確な図版の選択と軽いが凝縮度の高い解説文からよくうかがえる。リアルな細密描写に徹した画風は、絵画であることの枠を越えて生気を発していて、尋常ではない妖しい画面をかたちづくっている。芸術家であり究極の職人であるヤン・ファン・エイク

コンセプチュアル・アートが主流となっている21世紀の現在、仮にいずれかの能力を得ることが可能であるとした場合には、セザンヌアンリ・ルソーの変換に長けた能力よりも、私はヤン・ファン・エイクの超人的な表象能力を取りたい。自在に描けるというのはなにより羨ましい。人間の能力を超え出た瞬間に立ち会えるかもしれない、現実と地続きでありながら崇高かつ不気味で異様な表現が自分の手から生まれると期待できる能力に憧れる。

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目次:
・可愛くない子どもたち
・なにぶん昔のことですから
・見たことのない未確認生物[UMA]たち
・小さいおじさん、大きいおばさん
・多すぎ、描きすぎ、細かすぎ
・あえてそう描く、その意味は?
・自分で自分をへんに描く

山田五郎
1958 -