読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

石原八束『駱駝の瘤にまたがって ――三好達治伝――』(新潮社 1987)

生前の三好達治の門下生として親しく交流した俳人石原八束による三好達治の伝記評伝。

散文の表現能力に秀でている石原八束によって再現される三好達治は、生身の三好達治に限りなく近い像を与えてくれていることは疑いようもないことではあるのだが、昭和初年代における世間一般と文芸界での孤独についての共通理解と、21世紀から見た孤独の層との違いは、異次元に展開しているもののようで、そうそう簡単に同調していいものではないような印象が残る。
孤独に向き合った詩人という評言が多く挙がってくる三好達治ではあるのだが、21世紀日本の人間関係から見ると、社会生活においては孤独といえる状況にはない。折々の詩作品からも内面的には孤独にあったことは想像に難くないが、現実の生活や交流面においては、むしろ豊かささえ感じられる。創作活動を慕う同窓生や門下生はつねに存在し、三好達治の創作活動をないがしろにするような雰囲気がおこるようなことはなかった。
三好達治においては、学業を積み重ねる過程において、生涯のうちで関係性を離れて評価されることのない学友とのネットワークが構築されていた。また、印刷物を通して新たな関係を構築し、好意をもって集った者たちを学外の門下生として擁しながら、一般社会に向けての文芸活動に意欲的に向かっていたことにも注意してよい。
三好達治は当代随一の詩人でありながら、世俗にもっとも関わろうとした人物であるように思える。そして自身の向かいたい先の理想像と、現実の齟齬にもっとも苦しんだ詩人であるような印象を受ける。
不器用でいながら、突出して誠実な詩人。突出しているがゆえに、標準的な采配に納得ができずに苦悶し抵抗した挙句、傷ついて撤退を余儀なくされる、影をおびた存在。
それでも20世紀初頭の創作詩の環境は、濃密で、なにかを生み出すような雰囲気は今よりも多く持っていた。21世紀の現在においてはその違いを認識しながらどうにか活動していくほかないだろう。孤独の重さが価値を持った時代から、軽い孤独のマネジメントを良くしていこうという時代への移り変わりのなかで、よりドラスティックな孤独に向き合いつつ、やり過ごす方法が必要になってくると思う。
いまでは使えることのすくない濃密なネットワークの中での孤独の相を参照しながら、現状に向き合い、かつ過去の人物たちとともに現在を相対化しやり過ごしていくことも必用なのではないか、などということを思いながら読んだ一冊。

【付箋箇所】
33, 38, 53, 68, 80, 112, 126, 134, 142, 155, 189, 208, 230, 240, 250, 261, 273

目次:
01 境涯の発端―風狂の出自
02 去留定めなき幼年時代
03 大阪陸軍幼年学校入学
04 父親の遺した一穂の焔
05 陸士予科時代、反骨の学友たち―二・二六事件の原点
06 陸士脱走の真相
07 三高時代―詩作の模索
08 萩原朔太郎との出逢い―東大仏文科時代
09 画期的訳業《巴里の憂鬱》から処女詩集『測量船』へ
10 発哺の療養期―結婚、「四季」の創刊
11 詩壇の第一線で―歩みくる冬の跫音
12 述志の詩の曙光―大戦と朔太郎長逝
13 離婚、越前三国隠栖、敗戦
14 戦後の詩人の真情―「なつかしい日本」
15 流寓独居の終焉

三好達治
1900 - 1964
石原八束
1919 - 1998