読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

石原八束『三好達治』(筑摩書房 1979)

俳人石原八束はすでに飯田蛇笏主宰の「雲母」の編集に携わっていた1949年30歳の時に詩人三好達治に師事することになり、1960年から詩人の死の年まで三好達治を囲む「一、二句文章会」を自宅にて毎月開催していた。

本書は昭和50年代に各所に発表された三好達治に関するエッセイを中心にした折々の三好達治の姿を描き出した一冊。自身も文芸の世界に深くかかわりながら生きた作者の、尊敬と哀悼の意がひしひしと伝わってくる文章で、主たる創作領域である句作の世界を超えるほどに読む者に感動と貴重な情報を与えてくれる。

稼業の印刷業で技術があるにもかかわらずあるいは技術があるがゆえに商売よりも新技術開発にのめり込み倒産、その後出奔した父から風狂の気質を受け継いでいることを指摘しながら、深い抒情性と諧謔の性向のバランスのうえに成立した三好達治の詩の世界を浮き上がらせていくところは、ほかの論者には見られない特色があった。

三好達治が指示した萩原朔太郎との性向や詩的方法の違い、家庭生活を破綻させた萩原朔太郎の妹愛子との関係、親しく交流した井伏鱒二とのエピソードなども、近くにいたからこそわかるこまやかさで伝えてくれているところにも希少性がある。井伏鱒二とのほほえましい関係性などは本書ではじめて知ることができたことで、なるほど気が合いそうだと納得もできた。

これらの作に見られる反語や諧謔はこの詩人の性来のストイックな激情と厭世孤独な性情と詩人の野生無頼とを自己戯画化したところから生まれ出たものというほかない。ここにこの詩人の風狂の姿勢を見る。反語や諧謔はその風狂者の批評でもあった。
(「風狂の詩人」より)

上記引用は『駱駝の瘤にまたがって』や『百たびののち』の晩年の作品に対する評言であるが、句作や歌作をふくめた詩作活動の全域に適用できる簡潔明快な切り口を提供してくれている。

【付箋箇所】
15, 26, 30, 65, 71, 74, 104, 116, 126, 134, 149, 158, 169, 180, 196, 208, 214, 226


三好達治
1900 - 1964
石原八束
1919 - 1998
井伏鱒二
1898 - 1993