アントナン・アルトーの翻訳者ということで身構えていたが、読んでみるといたって穏当で建設的。幻想的フィクションを織り交ぜているが、それは世界をよりよく見取り、新たな相を見せるようにするための詩的な戦略で、きわめて実践的なものであることが感じ取れる。
祈りというが祈りとわかる祈りに祈りはない。
日々の所作、実用的な動きだけが、祈りを祈りにする。
(「ハバナ」より)
世に満ち満ちている諸現象、諸記号を、詩を書くことで明確に共有可能なかたちでまとめあげている。本詩集で詩の主題として取り上げられることが多いものはは、旅、信仰、音楽、写真、そして詩と言語そのもの。上記引用詩句から考えると、生き、経験し、想像し、書くことが、そのまま慎ましい祈りのかたちになっている。一点に向けて過剰に荒れ狂う凶暴性ではなく、無償に近い軽さによってさまざまな方向に展開しようとする遊戯性あるいは祝祭性が、祈りのかたちを心地よいものにしているようだ。それぞれの詩の積み重なりから生まれる詩集としての佇まいは、著者の「あとがき」によって最終的に完成すしている。
この粗暴で物悲しい世界をわたる者のcompanion speciesとしての犬の、無条件の愛、無償の努力。そのようにつねにそこにいる、どこにでもついてくる、犬のような詩をめざしたらどうだろう。この詩集自体がそんなポータブルな吠えない犬の役割を、あなたのために果たすことを願っています。
(「あとがき」より)
「犬のような詩」、伴走者あるいは伴奏者としての詩という捉え方が徐々に心に響いてくる一冊。
目次:
犬探し
「犬狼詩集」より
貴州詩片
太田詩片
サウスウェスト詩片
写真論
山形少年
光のりんご
青空ジュークボックス
Baciu, bacio
中山北路
(ひかりは せかいに……)
重力、樹木
グラナダ
コルコヴァード
ハバナ
コロラド
犬のパピルス
あとがき
管啓次郎
1958 -