アウグスティヌス『神の国』第三分冊、第11巻から第14巻を収める。
古代の終焉と中世の端緒の時代に多大なる影響力を持ったアウグスティヌスの世界観は、21世紀の現代の私たちの感覚とは異なる。
異なっているがゆえに、参考になることもおおいにある。
彼の神学において明白なことが、我々の世代のキリスト教徒以外にも遍く受容され且つ批判もされている凡庸な宗教的見解と、異なる位相を持っているのであろうことが、なんとなく伝わってくる。
近代科学や進化論のはるか以前の、厳密に構成された決定論的世界観のもとでの、自由と平等、労働と分配、愛と交友からの離脱反目が、暗黙裡に俎上にあげられ、逐一検討されているという印象が強く浮き上がってくる。
人の領域と、天使の領域と、神の領域が、基本的に神の領域における救いの必然性から考察され、こぼれ落ちた者に対しても、非難しつつ、同じ過ちから迷えるものを救おうとする姿勢が強く打ち出されてもいる。
人間の過剰な動物性を、霊的なものに繋ぎとめ、或いは霊的なものに転換する道筋を、大枠で示すことに焦点をおいて、あるべき「神の国」と、避けるべきではあるが陥りやすい「地の国」との二層に分割して描きあげているのが、『神の国』第11巻から第14巻の特徴である。
さて、アウグスティヌスのキリスト教的「神」とは関わりのないところで生きる人にとっての「神の国」とは何か?
それはアウグスティヌスにとっては関わりのない領域ではあろう。ただ、本書を読んだ限りでは、自己愛を超えるところの愛の対象に、純粋に帰依することができた時に、「神の国」に参入できている可能性はきわめて高い、というように読み取れる。
以上、初読での感想メモでした。
【付箋箇所】
29, 46, 67, 70, 76, 94, 100, 111, 229, 255, 260, 278, 308, 324, 355, 362
アウグスティヌス
354 - 430
服部英次郎
1905 - 1986
藤本雄三
1936 -