読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

岡井隆『文語詩人 宮沢賢治』(筑摩書房 1990)と宮沢賢治の文語定型詩

宮沢賢治は短歌から表現活動をはじめ、最晩年は病の中文語詩に集中していた。本書は、童話作品や心象スケッチ『春と修羅』などの口語作品に比べて読まれることの少ない賢治の文語作品は賢治にとってどのような意味があったのか、また、賢治の文語作品が書かれた当時や戦後の口語主体の表現領域においてそれぞれどんな意味を持っているかを歌人であり詩人でもある岡井隆が15年という長い期間にわたって考え、書き留めた評論作品。

見田宗介宮沢賢治 ― 存在の祭りの中へ』のなかで賢治の文語作品について全般的に書かれた一冊として取り上げられてもいるなかなか貴重な論考ではあるが、詩歌の実作者による検討ということもあってか、分析的な解釈よりも、書き手の心情をおもんぱかるような表現が多い。自分の考えを「どうだろうか?」と読者にゆだねるように提示しているところも、文語詩を読み慣れていない普通の読者層にはなかなか共感しずらいところがあって、一読だけでは消化不良の感がおおいに残るのだが、自分で読んで考えるということを暗に勧めているような印象もあるので、作者にばかり問題があるというわけではないだろう。

宮沢賢治の文語作品を評価しているのは吉本隆明入沢康夫が代表的なところで本書にもかなり多く引用参照されている。先行者二名の引用からは凝縮された表現の形態を賞賛する傾向が感じ取れるのに対し、岡井隆はどちらかというと定型韻律を志向するなかで表現が鮮やかに決まっていると考えられる作品を評価するだけで、文語詩全般を評価しているわけではない。短歌の実作者として、また短詩系文学論の論者として、宮沢賢治が最終的に執着した文語の定型詩への関心が宮沢賢治という作家自体への関心に優越している。それは塚本邦雄が啄木よりもよほど才能があるといった宮沢賢治の短歌を「つまらない」と全く相手にしていないところにもあらわれている。規則性を持って書かれる日本語の詩の可能性を宮沢賢治の文語詩を研究することで探っているような印象だ。短歌は宮沢賢治以外でも文語で書く人間のほうが多いのだからわざわざ論じるまでもないというところがあるのだと思う。

意味だけを、がんがん詰めこんでなんか言うつもりなら、音数率定型詩など、まったく非力である。口語自由詩の雄弁に、すぐ負けてしまう。この二行詩は、言葉の喚起する映像と、言葉の韻律だけで、「老農」を浮かび上がらせようとした一つの試行なのである。
(「「文語詩稿」の意味」より)

宮沢賢治のすぐれた文語作品の例として取り上げられた作品はこちら。

労農

火雲むらがり翔べば、  そのまなこはばみてうつろ。
火雲あつまり去れば、  麦の束遠く散り映ふ。

 

宮沢賢治の文語作品はちくま文庫宮沢賢治全集の第三巻、第四巻で比較的簡単に読むことができる。私が実際に読んでみた印象では短い形式の文語詩は内容が少ないように感じられ、比較的長い作品は文語表現の内容よりも七五調の音韻律が気にかかりうまく鑑賞することができにくいところがある。萩原朔太郎三好達治の文語詩のほうが鑑賞しやすく内容も音韻も整理されているような感じがするのだが、この辺のところはちゃんと比較研究してみるとまた違った感じが出てくるのかもしれない。

文語詩は賢治が詩型をさぐりながら創作していったのに比べて、短歌は形式として洗練されているのでよりすっきり読み取れて鑑賞しやすいものが多いと思われる。

夜の底に
霧たゞなびき
燐光の
夢のかなたにのぼりし火星

みなそこの
黒き藻はみな月光に
あやしき腕を
さしのぶるなり

 


【付箋箇所】
11, 15, 25, 62, 64, 73, 115, 224, 231

目次:
文語詩の発見―吉本隆明の初期「宮沢賢治論」をめぐって
「文語詩稿」の意味
宮沢賢治短歌考
賢治の歌私注
「歌稿A」に関する覚え書
たつきてゆめみなやみし―「文語詩稿」を読む
不眠と労働
親方と天狗蕈
サラアなる女
サラアなる女の伝説
凶作地の小学教師
林館開業 選挙―ふたたび「文語詩稿」を読む
林館開業 崖下の床屋
小沢俊郎について
永久で透明な生物の群が… 日記抄
「文語詩稿」や短歌の評価ということ

岡井隆
1928 - 2020
宮沢賢治
1896 - 1933

 

参考:

uho360.hatenablog.com