読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

新潮日本古典集成 山本利達校注『紫式部日記 紫式部集』(新潮社 1980, 2016)

藤原俊成の評に「歌よみの程よりは物書く筆は殊勝なり」とあるように、『源氏物語』の作者としての評判ばかり高く、歌についての評価は全般的に低い紫式部であるが、勅撰集やそのほかのアンソロジーなどで読んでいる際、わたしは何となく紫式部の歌が好きだなあと感じていた。今回はどの辺が好きなのかをすこし探ってみるために『紫式部日記 紫式部集』を手に取ってみた。

源氏物語』に歌い込まれた創作歌は794首、それに比較して自選の『紫式部集』の収録歌は131首と極端に少ない。歌ならいくらでも作れたことであろうに残された歌は少なく、どちらかというと自分を直截的に表現することには気が向かないたちなのではないかと想像される。『紫式部日記』にしても山本利達の解説によると、主君である藤原道長の要請で中宮彰子の後宮の優位性をひろく知らしめるために書かれているということであり、こちらも筆の立つ紫式部が周囲の状況を踏まえつつ書き整えた公的な側面のつよい作品であるようだ。己を強く押し出さず、多くは社交の範疇で抑制の利いた表現で歌が詠われている。静かでいながら情感に満ちた歌いぶりが詞書や日記の地の文にまぎれて花咲いている様子が紫式部の歌の魅力なのではないか、と言語化したところで自分の嗜好がどこにむかっていたのかある程度納得できたのが今回の読書の成果であった。

年暮れてわがよふけゆく風の音にこころのうちのすさまじきかな
若竹のおひゆくすゑを祈るかなこの世をうしといとふものから
世の中をなに嘆かまし山桜花見るほどの心なりせば

源氏物語』は夫を失って過ごした30歳代の作品で、『紫式部日記』『紫式部集』はそれより後の40歳くらい以降の作品であるということも、迫る老いの諦念のなかで日々の思いが静かに深まっていったという想像を呼び起こす。

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【付箋箇所】
22, 39, 43, 71, 72, 131, 135, 136, 147, 156, 161, 163, 171, 180, 187, 192, 194


山本利達
1927 -