読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

著・訳:古田亮、著:岡倉覚三『新訳 東洋の理想 岡倉天心の美術思想』(平凡社 2022)

1903年=明治36年にロンドンで出版された『東洋の理想』として知られる天心岡倉覚三の処女作『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』の最新訳に、訳者古田亮による本篇に匹敵する分量の『東洋の理想』研究が付された最新案内書。20世紀初頭に世界に向けて「アジアは一つ Asia is one」というメッセージを発信した岡倉天心の執筆刊行当時の実際に迫る力作。

人的文化的な交流が困難な時代にあって、極東の島国に漂着物にも準えられる文物が持続的に到来し、新たな傾向や趨勢の波に一掃されることなく、比較的穏やかな文物受領を享受していた日本の特殊性を、時代特性や地域特性から解明するのではなく、インドに源を置く汎アジア的な不二一元論に帰するところに、天心岡倉覚三のアジア以外の先進西欧世界に向けての理論的主張の骨子があるとの指摘が示される。

本書が英文で書かれたのは、東京美術学校を排斥され辞職した後に日本美術院を結成するも行き詰まりを見せ、日本を逃れるように海外(インド)に渡航した時期にあたる。

インドで「不二一元論」を説いて影響力を持っていたスワミー・ヴィヴェーカーナンダに1893年のシカゴ宗教会議以来共鳴し、彼の女性弟子に日本の地において交流できていたことが、英語圏での処女作刊行に結びついている。

『東洋の理想』の内容は、明治以前の伝統的日本美術発掘紹介の嚆矢となる美学者フェノロサとの交流のなかで確立された美意識のもとに特定された日本的美に力点を置いた紹介が中心で、その美の成立背景として日本のアニミズムや本覚思想や華厳思想と親和的なインドの「不二一元論」の精神的宇宙論にうまく収まる作品に価値を置いている。

日本の美術において評価されるべきは、アジアの根本にある「不二一元論」の理想に根差した精神性を表現しようとした時代の作品であり、理想よりも趣味の優位に力点を置く近世以降の世俗的庶民層の価値観を軽く見ている傾向は、本書においては明らかである。

深層を解読する必要のある精神性を重視して、かわいさやキレ味などの時代に応じた表層での技巧の勝負には全く目もくれない岡倉天心。その姿勢は万人受けはしないながら、自身の審美眼の芯を貫き通し、現代にもつづく流派を構築していて、称賛に値する。またその逆に、江戸期の流行物のかわいさや技巧的キレなどを否定的に指摘しているところに、江戸期の感性に敏感であるところが見られるところも見逃せない。

芸術を前にして死んでもよいとおもえた藤原期から室町期に到る伝統と、空想の喜びに耽ることに脱していった江戸期という区分けを行ったうえで、天心は精神的な遊びが少ない緊迫した時代の精神をよしとしていて、庶民的で世俗的な感性に合致した美術工芸作品、近現代的な世俗の感覚としての「可愛らしさ」に覆いつくされた江戸的な感性に異を唱えることに特徴があった。

象徴的には浮世絵の美的観点からの全否定、古代からつづく伝統を受け継ぐ流派としての円山派の肯定と、それ以前の時代の古典的教養をベースとした階級的で洗練された日本の美術の歴史を正統なものとして、英語圏の読者をはじめとした読者、東洋を異世界として認識しはじめていた世界に向けて表明されている。

アジアは一つかということに関しては、一切は等しく尊いものであるとする「不二一元論」の温和な愛の理論の肯定、仏教の菩薩道の広まりの端に位置していた日本において、インド・中国の大国の失われてしまった文化が残されているという認識のもとに、当時事実上イギリスの植民地であったインドやアジアにおけるヨーロッパ勢の支配に対しての抵抗の意味合いが強く、英語での出版に尽力してくれたインドの人々の利益にも沿った主張であるということが本書後半の研究のなかで指摘されている。天心のパセティックな論調もあって、後の戦争期にはイデオロギーとして利用されることばとなってしまったが、本来は支配被支配の関係を超えた愛の一元論を呼びかけたいためのことばであった。

「アジアは一つ」という天心のことばのなかに日本偏重国外蔑視の意図はなかったにしても、政治的にいかようにも利用されうる自身の言説についての危うさに対する自覚の薄さは間違いなくあった。本書はその点も排除せずに、岡倉天心『東洋の理想』の執筆刊行当時の反響と、現代における再読再解釈の意味合いを一般読者層に向けて示し問いかける意力的な著作に仕上がっているように思う。

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【付箋箇所】
第1部 天心岡倉覚三『東洋の理想』本文
23, 34, 51, 63, 69, 73, 114, 132, 142, 148, 154, 168, 179, 184, 186, 199, 211, 232, 237, 251
第2部 古田亮著:「東洋の理想」でひもとく岡倉天心の美術思想
300, 301, 304, 310, 312, 325, 334, 337, 343, 350, 354, 357, 367, 368, 371, 372, 374, 377, 382, 383, 385, 386, 398, 423, 427, 431, 440, 454

目次:
第1部 新訳 東洋の理想  岡倉覚三  訳:古田亮、訳注:芹生春奈
 理想の範囲
 日本の原始芸術
 儒教 北方中国
 老荘思想道教 南方中国
 仏教とインド芸術
 飛鳥時代 550年~700年 
 奈良時代 700年~800年 
 平安時代 800年~900年 
 藤原時代 900年~1200年 
 鎌倉時代 1200年~1400年 
 足利時代 1400年~1600年 
 豊臣時代および初期徳川時代 1600年~1700年 
 後期徳川時代 1700年~1850年 
 明治時代 1850年~現在
 展望

第2部 「東洋の理想」でひもとく岡倉天心の美術思想  古田亮
 『東洋の理想』を読むための準備
 「明治時代」前半
 「明治時代」後半
 日本美術史
 近世の日本美術
 東洋の文化史 中国・インド
 「アジアは一つ」再考
 『東洋の理想』に学ぶ自己


岡倉天心
1862 - 1913
古田亮
1977 -