読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

オクタビオ・パス『泥の子供たち ロマン主義からアヴァンギャルドへ』(原著 1974, 竹村文彦訳 水声社 1994)

今週末に引越しを控えるなか、荷造りや各種手続きの合間をぬって再読したオクタビオ・パスの詩論集。

『弓と竪琴』につづく本作は、西欧とアメリカとラテンアメリカの近代詩の展開に的を絞って論じている。イギリスとドイツのロマン派の詩人や、フランスの象徴派の詩人といった翻訳も数種類出ているメジャーどころの詩人のほか、日本語ではあまり読むことのできない詩人たちについて、自身も詩人であるオクタビオ・パスが短い言葉で核心をつきながら紹介している。

日本語訳が少なく読まれる機会のすくない詩人としては
エズラ・パウンド
ウィリアム・ブレイク
ミゲル・デ・ウナムーノ
アントニオ・マチャード
アンリ・ミショー
ポール・クローデル
フェデリコ・ガルシーア・ロルカ
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ
ウォレス・スティーヴンズ
ギヨーム・アポリネール
ピエール・ルヴェルディ
マリアンヌ・ムーア
サセル・バジェホ
パブロ・ネルーダ
など。

ほかには
シャルル・フーリエ『四運動の理論』
オルテガ・イ・ガゼー『芸術の非人間化』
が目立って論考の対象としてあがってきている。

歴史に対して閉じかつ開かれている詩の世界・詩のテクストへの案内。

テクストは常に同一である――が、読まれるたびに別のものになる。一回一回の読みは、日付を持つ経験であり、テクストによって歴史を否定し、その否定を通じて再び歴史に参入する。変様(ヴァリエーション)と反復。読みはひとつの解釈、テクストの変様であり、その変様においてテクストは実現され、反復され――変様を飲み下す。一方、読みは歴史的であるが、同時に、日付を欠いた現在の中に歴史を消散させる。
(「アヴァンギャルドの黄昏」より)

引越し先で利用できる図書館は、電車移動も考えに入れると五つ以上の自治体になり、いずれもいま住んでいる自治体の図書館よりも、文芸・人文系の蔵書のラインナップに奥行きを感じさせてくれる。ストレスを抱えながら引越し準備をする中で、新たに読める本を検索し確認をとれることは非常に救いとなっている。オクタビオ・パスの詩集も複数冊アクセス可能で心強い。変様と反復の可能性が前途に開けており、待ち受けている。

※ちなみに現在住んでいるところでの最後の貸し出し・読了作品は、彌生書房の『ワーズワース』詩集で、ロマン主義の作品が馴染んでくるような年齢になったのかと自分の変化を確認し、先日ひとつの締めくくりとした。ほかでは、つい最近、モーツァルトピアノソナタが沁みてくるようになったのも、意外なことであった。


目次:
1 断絶の伝統
2 未来の反乱
3 泥の子供たち
4 アナロジーとイロニー
5 翻訳と隠喩
6 アヴァンギャルドの黄昏
   革命/エロス/メタ・イロニー
   図形の裏面
   収斂点

オクタビオ・パス
1914 - 1998
竹村文彦
1958 -