読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

リチャード・ダッドのウィキペディアの記事からクィーンの「フェリー・フェラーの神技」のミュージックビデオを見てびっくりしたことの記録 オクタビオパスの『大いなる文法学者の猿』をきっかけに

エンドレス・リピートできるヤバいミュージックビデオ。

再生一回2分47秒(167秒)に込められたヨーロッパ文化の精髄。

フレディ・マーキュリーの天才が発掘し変奏させたイギリスの文化の奥深さに圧倒される。

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受容の衝撃の度合いから言うならば、トールキン原作の『ロード・オブ・ザ・リング』三部作に匹敵するというか、それを超えている。
2023年時点の日本で比較できる映像作品はないと思うが、立ち向かっていこうとすれば、次のようなラインナップはいかがだろうか?

発想源:曽我蕭白の「群仙図屏風」
作詩作曲:聖飢魔IIデーモン閣下
歌唱演奏:聖飢魔II
ミュージックビデオ:紀里谷和明監督に暗黒舞踏の面々

勝手な妄想にすぎないが、リチャード・ダッド+クイーンに並ぶことのできる日本の芸能の現在があると思うのだ。あくまで一例としての曽我蕭白デーモン閣下


リチャード・ダッドの名前を知ったのは、オクタビオ・パスの晩年の散文詩作品『大いなる文法学者の猿』(原著 1972, 清水憲男訳 新潮社 1977)の第20章の文章と掲載図版二点。起こりそうでいて、けっして起こらない瞬間という、時空間の幻想性を射止めて定着させた詩人の言説だった。

今にも起こりそうでいて、決して起こらない。「永遠に起こらない」と「今にも起こりそうだ」という状況の狭間で、一つ目の息苦しさが千本もの脚をつけて、巣を張っていく。

物事がすべて変わってしまう斧を降るう手前一瞬の永遠の折り返し点を定着させた幻想的で決定的な瞬間の表現。現代にも顔を出してくる神話の世界の時空間を垣間見させてくれる貴重な創作。

フレディ・マーキュリー
1946 - 1991
リチャード・ダッド
1817 - 1886
オクタビオ・パス
1914 - 1998