中世末から江戸時代初期、下層の庶民階級を相手の芸能としてはやった説経節の代表曲「かるかや(苅萱)」のテキストに校注と現代語訳を付けた一冊。能や浄瑠璃などに比べてより簡素な語り芸であることが想像できる作品。
話は信濃善光寺付近に祀られている親子地蔵といわれる地蔵菩薩についての縁起で、花見の席で桜のつぼみが自身の盃に散り落ちたことで世を儚む思いが起こったがために妊婦の妻と娘がいるにもかかわらず出家遁世、その後に生まれた男子を含めての夫恋、父恋の悲恋の話。途中に空海の出生伝説(太陽の子として生まれた金魚丸)を挟みながら、家族すべてがそれぞれに亡くなるまでを描く。浄土があることで救われたようには描かれているものの、救いのない哀切な展開に終始している。
このよにてこそおなのりなくとも、もろもろの三世の諸仏、弥陀の浄土にては、おやよ兄弟(きやうだい)ちちははよと、おなのりあるこそめでたけれ。
悲しい物語に身を委ねることで精神浄化の作用が起こっていたのであろう。現代的な感覚で台本だけ読むとあまり情は動いてこないが、実際に節をつけて詠われたり、人形を使った芝居になるとホロっと来るのかもしれない。
そのほか読みながら考えたのは、いまでもお出家はあるけれど、世を儚んだ場合の受け入れ先は、出家のほかどこにあるだろうかということで、引きこもり+ネット環境くらいしかわたしの貧しい頭では思いつかなかった。