読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

アンリ・ミショー『ひとのかたち』(平凡社 2007)

東京国立近代美術館で開かれた回顧展にあわせて出版されたアンリ・ミショーの日本独自の詩画集。画業の全期間をカバーした全59点の絵画・デッサンと、その絵が生まれた情況に寄り添うような詩人自身の言葉からなる一冊は、アンリ・ミショーの詩人と画家の…

ジョルジュ・ブラック『昼と夜 ジョルジュ・ブラックの手帖』(原著 1952, 藤田博史訳 青土社 1993)と新潮美術文庫43串田孫一解説『ブラック』(新潮社 1975)

ブラックの『昼と夜』は、1917年から1952年まで、画家35歳から70歳まで折に触れて手帳に書かれたアフォリズム176篇を集めて書籍としてまとめられたもの。 ブラックは祖父の代からの建築塗装業を営む家系に生まれ、15歳で日中学校に通う傍ら…

並河亮『ウィリアム・ブレイク 芸術と思想』(原書房 1978)

合理主義を超えて世界の真実を説こうとしたブレイク、そして天地創造はあらゆるものを分裂させてそれをFall(降下)させてしまった神の過ちで、それを回復するのは唯一キリストのみと考えるブレイク。影響を受けたスウェーデンボルグやダンテやミルトンにさ…

高橋源一郎訳の『方丈記』

河出書房新社から出ている池澤夏樹個人編集の日本文学全集では古典作品を現代の小説家がかなり自由に翻訳している。そのなかで『方丈記』を高橋源一郎が翻訳しているということなので、読んでみることにした。いったんは図書館の書棚から手に取ってみて、表…

J・M・G・ル・クレジオ『氷山へ』(原著 1978, 中村隆之訳 水声社 2015)

中南米のインディオとの接触で、ともに衝撃的な言語体験を経て創作活動を行っっていったアンリ・ミショーとル・クレジオ。本書は先行する詩人アンリ・ミショーの二作品に、詩人から大きな影響を受けて作家っとなったル・クレジオが、ミショーの言語実践を変…

池澤夏樹の詩

詩を書くことから文筆の世界に入って、後に小説家に転身、詩から離れるものの、『池澤夏樹詩集成』で過去の詩集を集めて再刊行したあたりから、継続して詩作をつづけてきた池澤夏樹。その詩作のほぼ全体を、三冊の詩集で読み通してみた。 1996年に書肆山…

才野重雄訳注『ミルトン詩集』(篠崎書林 1976)

『失楽園』以外になかなか翻訳がないミルトンのなかで、前期詩篇と後期の『復楽園』『闘士サムソン』が読める貴重な詩選集。しかも平明な口語調の翻訳で、読みやすく、詩に詠われた各場面が鮮明に印象づけられる。大修館書店から1982年に刊行された新井…

小海永二訳『アンリ・ミショー全集』1(青土社 1987)

いままでアンリ・ミショーとの相性が私はあまりよくなかったのだが、今回はどういうわけかミショーの作品に乗ることができた。 様々なところで良いといわれているミショーの詩作品に全部目を通してみようと思い立って、小海永二個人全訳の『アンリ・ミショー…

梅津濟美訳『ブレイク全著作』2 (名古屋大学出版会 1989)

公の席でイギリス国歌とともに歌われることの多い聖歌「エルサレム」は、ウィリアム・ブレイクの第二預言書『ミルトン』の序詩に曲がつけられたもので、イギリス国民の多くが詩を暗唱し、難なく曲に合わせて歌唱しているものである。大江健三郎の四〇代後半…

高橋睦郎『深きより 二十七の聲』(思潮社 2020)

西欧の詩歌が輸入される以前の日本の旧体の詩歌がいかなるものか、またいかなる人たちの手になるものか、降霊術の体裁を借りた故人の語りを詩として提示した後に、高橋睦郎による詩人の評釈が加えられ、日本の詩歌の頂きを過去から現代へ向けて、ほつりほつ…

有田忠郎『光は灰のように』(書肆山田 2009)

多田智満子とともにサン=ジョン・ペルスの訳者である有田忠郎。いずれも詩人で、いずれも異なる作風であることが、いちばん気にかかる。 ある程度の分量になる場合、書くということは、書き手の本質を浮かび上がらせずにはおかない、ということに気づかせて…

ジョー・ブスケ『傷と出来事』(原著 1973, 谷口清彦+右崎有希訳 河出書房新社 2013)

本書の原題は『神秘なるもの』であり、日本語題の『傷と出来事』は訳者からの説明はないものの、ジル・ドゥルーズが『意味の論理学』(1969)でジョー・ブスケを論じた第21セリー「できごとについて」に由来すると考えられる。 『意味の論理学』の原注では、…

三木紀人『鴨長明』(講談社学術文庫 1995, 新典社 1984)

広範な資料を読み解き、細部を形成している言葉の選択から人物の考えや動向をリアルに特定し、資料に残されていないものに関しては想像力をもって踏み込んだ人物像を描きあげている、出色の鴨長明伝。比較的硬質の文体での記述でありながら、学術的な感触よ…

『阿部弘一詩集』(思潮社現代詩文庫152 1998)

フランシス・ポンジュを師と仰ぎ、訳者として日本への導入に功績のあった阿部弘一は、詩誌「貘」を活動拠点とする日本の現代詩人でもあった。1998年に刊行された思潮社の『阿部弘一詩集』には、それまでに刊行された三冊の詩集全篇と第一詩集刊行前後の…

多田智満子の遺稿からの作品集二冊『多田智満子歌集 遊星の人』(邑心文庫 2005)、『封を切るひと』(書肆山田 2004)

多田智満子(1930 - 2003)と関係の深い、文芸詩歌上の弟と自ら規定する高橋睦郎(1937-)が、故人に生前託された遺稿からの作品集刊行に応えた二冊。まず葬儀参列時に手渡された遺句集『風のかたみ』と告別式式次第に掲載された新作能「乙女山姥」があり、こち…

木船重昭『久安百首全釈』(笠間書院 1997)

久安百首は崇徳院が二度目に召した百首歌で、第六勅撰集『詞花和歌集』(1151)の資料として召されたと考えられている。ただ詠進歌が出揃ったのは久安6年(1150)であり、『詞花和歌集』の選者藤原顕輔にとっては検討期間が短くまた『詞花和歌集』の選歌の方針…

オクタビオ・パス『もうひとつの声 詩と世紀末』(原著 1990, 木村榮一訳 岩波書店 2007)

『弓と竪琴』(1956)『泥の子供たち』(1972)につづく詩論三部作の三作目。人間にとっての世界を生むはたらきを持つ想像力の重要性を説く基本姿勢に変わりはないが、本書は詩人と詩の社会的な位置についての言及が比較的多く、詩自体のはたらきにより多く注目…

オクタビオ・パスの訳詩集3冊 『オクタビオ・パス詩集』(真辺博章訳 土曜美術出版販売 1997)、『続オクタビオ・パス詩集』(真辺博章訳 土曜美術出版販売 1998)、『大いなる文法学者の猿』(原著 1972, 清水憲男訳 新潮社 1990)

オクタビオ・パスは、メキシコの詩人。シュルレアリスム的傾向を持ちながら、作品は詩に関する詩といったものが多く、批評的あるいは哲学的な雰囲気が濃い。外交官としてヨーロッパ各国、日本、インドなどで活動し、各地で得た文化的知見を見事に咀嚼し、メ…

ジャック・デリダ『コーラ プラトンの場』(初出 1987 ジャン=ピエール・ヴェルナンへ捧げられた共同論文集, 原著 1993, 守中高明訳 未来社 2004)

『コーラ』は古典ギリシア学の大家ジャン=ピエール・ヴェルナンに捧げられたデリダの論文で、ロゴスとミュトスの彼方、感性的なものでも叡智的なものでもない第三のジャンルに属するという、プラトンがコーラの名で示しているものをめぐっての考察である。 …

フランシス・ポンジュ『表現の炎』(原著 1952, 1976 思潮社 1980)

原題名を直訳するならば『表現の怒り』。従来の言語への嫌悪感から、その言語を告発し、修正するべく書きつづけ、新たな詩の言語の生成の過程をあきらかにていくことが、ポンジュの詩法の特徴である。 実質的な第一詩集である『物の味方』での、物に寄り添い…

ジョン・ミルトン『楽園の回復・闘技士サムソン』(原著 1671, 訳:新井明 大修館書店 1982)

『楽園の回復』と『闘技士サムソン』は1671年に合本として刊行されたのが最初。実際の制作時期に関しては『楽園の回復 Paradise Regained 』が1667年以降、『闘技士サムソン Samson Agonistes 』が1668年以降と推定される。ミルトン晩年の三作品…

『富澤赤黄男全句集』(沖積舎 1995)

昭和前期の俳句革新運動である新興俳句運動の作家のなかでも、新たな俳句スタイルを求めてもっとも果敢に変化していった俳人が富澤赤黄男である。文芸の世界での探究努力は、必ずしも優れた成果に結びつくわけではないが、たとえ先細り、道に迷うようなこと…

有田忠郎訳のサン=ジョン・ペルスの詩集二冊 『風』(書肆山田 2006)と『鳥』(書肆山田 2008)

サン=ジョン・ペルスは1960年度のノーベル文学賞を受賞したフランスの詩人。生まれはフランス海外県のグアドループのポワンタピートルで、クレオールの文学としての特徴も持つ。『鳥』には、1962年に書かれた最後の長篇連作詩の「鳥、連作」とノー…