読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

岡田秀之『いちからわかる円山応挙』(2019)

写生の画家といわれる円山応挙は、たんにものを見て描くということをはじめた人ではなかった。 「秘聞録」には、いかに現実のように見えるかを追求している言葉もある。一、応挙云、鹿ハ馬ニテ画故不宜、羊ニテ可画云々、仁山ノ鹿宜云々一、円山云、人物手足…

高村薫『空海』(2015)

高村薫が空海を取材する必然性があまりよく分からない一冊。密教の身体感覚というところで空海に結び付くのだろうけれど、空海自身の思想が立ち上がってくるわけではなく、行者の一傾向がクローズアップされているような印象があった。 寶壽院は典型的な祈祷…

小松茂美『国宝 平家納経 全三十三巻の美と謎』(2005, 2012)

『図説 平家納経』(2005)の新装版。各巻の表紙、見返し、軸を図版として紹介してくれている。軸の豪華さも味わえて平家納経にまた別の角度から接することができた。本書を手に取った目的は俵屋宗達が手掛けた江戸の補修作業(1602)について詳しい情報が得ら…

ケネス・クラーク『名画とは何か』(1979)

名画という言葉のまわりには数多くの意味が群がってはいるが、それは何はともあれ、その個人的経験を普遍的なものにするような具合いに、時代精神に同化した天才芸術家の作品なのである。(p54) 驚きはないが、妥当な定義。 名画とは何か - 白水社 ケネス・…

瀬尾文子『春怨秋思 コリア漢詩鑑賞』(2003)

高句麗・新羅・高麗・李朝1200年のなかから、代表的な詩人100人の詩篇146首を紹介している。作者の紹介からは政争によって死刑や流罪、投獄、辞職などに追い込まれた人物が多いような印象を受けたが、それに比して紹介されている詩はおとなしいものが多いよ…

井波律子『中国名詩集』(2010)

前漢の高祖劉邦から20世紀の毛沢東までの漢詩百三十七首。中国の詩は嘆きも喜びもスケールが大きく強さがある。 竹石 鄭板橋(ていはんきょう:清) 青山(せいざん)を咬定(こうてい)して放鬆(ほうしょう)せず根を立つるは 原(も)と破巌(はがん)の…

アラン『幸福論』(1925, 1928, 2011)

筋肉を伸ばし、あくびをすることが、幸福であることは、誰でもよく知っている。(85「医者プラトン」p242) 上機嫌の作法を広めようとしている齋藤孝にも連なるような幸福論。思考言語のストレッチが気持ちいい。味わい深い93の断章。 根本的には、上機嫌…

韮原祐介 『いちばんやさしい機械学習プロジェクトの教本 人気講師が教える仕事にAIを導入する方法』(2018)

上流よりのSEおよび依頼側担当者向けの教本。技術的なことよりもプロジェクト立ち上げ時に必要となる前提知識を教えてくれる。工数計算のとき使用データの前処理に一番時間がかかるという指摘が一番心に響いた。 機械学習においてはモデル構築が最も大変と思…

『自選 大岡信詩集』(2016)

なんの引っかかりもなく読めてしまった。たぶんよい読み方ではなかった。どんな詩人であるのかはっきりわからないところにいる。読み通してからパラパラめくってみたときのほうが言葉のつぶてとして気にかかってくるところがあった。おそらく、紀貫之や菅原…

谷川俊太郎『聴くと聞こえる on Listening 1950-2017』(2018)

沈黙について沈思するきっかけとなる詩の数々。 初めに沈黙があった。言葉はその後で来た。今でもその順序に変りはない。言葉はあとから来るものだ。(中略)しかし、沈黙はひとりである。声はむすびつこうとするものだ。産声、それは最初の言葉だ。呼びかけ…

レイ・カーツワイル『シンギュラリティは近い 人類が生命を超越するとき【エッセンス版】』(2005, 2016)

困った。主役ともいえるナノボットのイメージについていけない。 ◆ナノテクノロジーを用いてナノボットを設計することができる。ナノボットとは、分子レベルで設計された、大きさがミクロン(一メートルの一〇〇万分の一)単位のロボットで、「呼吸細胞(レ…

橋本治『ひらがな日本美術史7』(2007)

明治以降の美術。「近代の寂しさ」という表現が深く刺さる。 近代の「道」の寂しさは、誰にとっても開かれているようで、結局は「偉大な一人」になるための道でしかないからではないか。新しく開かれた近代になって、「芸術」というオープンな領域を開いたは…

橋本治『ひらがな日本美術史6』(2004)

江戸幕末の美術。近代になって文化の色気が失われたと嘆く作者の、前近代までの日本美術への哀惜の情が色濃く出た巻。 ある意味で、明治維新は来なくても、近代にならなくても、既にあるところでは、十分に「近代」が実現してしまっているということである。…

橋本治『ひらがな日本美術史5』(2003)

江戸、18世紀後半の美術。「魅力的なもの」は「へんなもの」であるという主張。 「へん」とは、「その人間のあり方」である。だからそれを、「個性」といってもいい。しかし「個性」というのは、いまとなっては尋常で、そうそう特別なものでもない。「ただ単…

橋本治『ひらがな日本美術史4』(2002)

江戸の美術。大名から大衆の美術へ移りつつある時代。 第2巻で「日本人は、もうあらかたをしっている。そういう日本人にとって必要なのは、”その先の詳しさ”なのである」と言っていたところの「その先の詳しさ」を本巻では俵屋宗達を介して語ってくれている…

橋本治『ひらがな日本美術史3』(1999)

安土桃山の美術。声を出して笑わせてもらった。水墨画のひとつの見方を強烈に打ち出しているところなど立派だと思う。 私は、水墨画というものを、どこかで「うっとおしいもの」だと思っている。水墨画というものは、そのうっとおしさがいいのである。だから…

橋本治『ひらがな日本美術史2』(1997)

鎌倉・室町の中世の美術。はじめて聞く「日本的」の定義。 日本人は、もうあらかたをしっている。そういう日本人にとって必要なのは、”その先の詳しさ”なのである。日本の文化はそのように発展して来た、私はそのように思う。その「あらかたを知っている」と…

橋本治『ひらがな日本美術史』(1995)

最初の一行でやられた感じがした。全巻読んでみようと思った。 埴輪はかわいい。それは目が黒目がちで潤んでいるからだ。(p15) 第一巻は日本美術の対象を発見していく時代の記述が印象的。 我々日本人は、鎌倉時代になって初めて、「自分達の身の周りには…

橋本治『ひらがな日本美術史』全章タイトル

橋本治『ひらがな日本美術史』を読もうと思ったのは、浅田彰と橋本治の対談「日本美術史を読み直す」を読んだため。 REALKYOTO – CULTURAL SERACH ENGINE » 対談:橋本 治 × 浅田 彰「日本美術史を読み直す」 浅田彰は『ひらがな日本美術史』を教科書にすべ…

頼住光子『道元 自己・時間・世界はどのように成立するのか』(2005)

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス』で道元への言及があったので、道元についての情報を補強しようと思って読んでみたが、井筒俊彦だけで十分かもしれないと思った。100ページ程度の著作なので、まあ、欲をかいてはいけない。 通常の認識においては、認…

井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために』(1989, 2019)

柄谷行人も似たようなことを最近の著作のどこかで言っていたような記憶があるが、世界共通言語としての「メタ・ランゲージ」が必要だという発言が一番大きなテーマとして響いた。 メタ・ランゲージというものがどうしてもできなくては、さきほどの国際社会の…

井筒俊彦『イスラーム文化 その根底にあるもの』(1981, 1991)

1981年春、国際文化教育交流財団主催の「石坂記念講演シリーズ」の三つの講演をあつめたもの。イスラームを理解しようとするならば、まず人権に対する神権という視点が必要になってくる。神が主人である世界。 講演1 イスラームという宗教は決して新しい宗…

高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』(2018)

高橋源一郎は昔から気になる作家だ。小説に関してはほぼ全部読んでいるんじゃないかと思う。で、久しぶりにいい高橋源一郎作品を読んだような気になった。三度目の離婚以降の作品(『あ・だ・る・と』)あたりから何となく低調な感じがしていたけれど、今回…

中村真一郎 『ビジュアル版 日本の古典に親しむ 12 伊勢物語』(2007)

中村真一郎による現代語訳と解説で主だった伊勢物語の段を読める入門書。以下引用は「東下り」の段の解説。 こうした貴人が都を離れて地方へ流浪するという話は、民族学の方では「貴種流離譚」と名付けられていて、古代には類話が多いわけです。そしてその場…

日高敏隆『動物と人間の世界認識 ― イリュージョンなしに世界は見えない』(2003、2007)

著者が翻訳紹介した、ユクスキュル、ローレンツ、ドーキンスの理論をベースに展開される科学エッセイ。知覚の枠の異なる種ごとに世界がイリュージョンとして生み出されている、という主張。ユクスキュルの環世界の考え方が柱になっている。 たとえば、モンシ…

数を気にする紀貫之

紀貫之の歌といえば「水底」がまず思い浮かぶが、数を気にする紀貫之というのも結構気になっている。 033 いかにして数を知らまし落ちたぎつ滝の水脈よりぬくる白玉056 数ふればおぼつかなきをわが宿の梅こそ春の数は知るらめ064 幾代へし磯部の松ぞむかしよ…

大岡信『紀貫之』(1971, 2018)

「土佐日記」が好きなので紀貫之を悪く思ったことはない。歌も悪いとは感じない。 影見れば波の底成るひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき 正岡子規によって戦略的に「下手な歌よみ」と宣言されてしまった紀貫之ではあるが、大岡信は本書によって紀貫之の…

篠原資明『差異の王国 美学講義』(2013)

芸術がわかるとは、違いがわかることなんだ。(p3) 参考になったのは、ベネデット・クローチェ(1866 - 1952)の論を引きながら経済と道徳について語っているところ。 経済と道徳については、どちらも意志的行為にかかわりますが、経済的活動の場合、意志の…

宮下規久朗『そのとき、西洋では 時代で比べる日本美術と西洋美術』(2019)

日本美術と西洋美術という対比での学習感は正直あまり残らないが、各時代の分析、解説は平均して質が高いように思われた。 フランスの哲学者レジス・ドブレは、20世紀後半のメディア社会までを視野に入れ、一九九二年に『イメージの死と生』を出版。古代から…

河野元昭『鈴木其一 琳派を超えた異才』(2015)

琳派四人目。デザイン感覚が横溢したとき、画面上に重力のない異世界が出現する。 抱一の引力圏を離れた其一は、自己の才能の赴くままに飛翔し、多面的な画質の傑作を生み出す。融合や統一に向かうことなく、大きな振れ幅をもちながら、画風の昂揚期を迎えて…