読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧

野口米次郎「山上」(From the Eastern Sea 1903『東海より』より)

山上 われ山上に立ち、深い霧に自らを失ふ時、われその柱となつて、宇宙に作られたりと思ふ………天地創造の始め、深さ否深さのない深さの上に立つ神は、則(すなは)ちわれらにあらざるか。 (From the Eastern Sea 1903『東海より』より) 野口米次郎1875 - 1…

野口米次郎「春」(From the Eastern Sea 1903『東海より』より)

春 春、翼の春、笑ふ蝶々、彼方に煌(きらめ)く、瞬間の天女。芳(かぐは)しい愛人の小さい影、乙女の春、今消えゆく、魅力を尽くして、影、黄金の影。春、横着な可愛いい春、気位高い男たらし、笑ふに生れた、生きるのでない、春、飛びゆく春、麗しい駈落…

ニコラウス・クザーヌス「テオリアの最高段階について」(1464) 佐藤直子訳

ニコラウス・クザーヌス最後の著作。可能であることについての言説。 実際、可能自体が存在するか否かを問う人は、注意するならただちに問いの不適切さを看取します。可能なしに可能自体について問うことは可能でないのですから。可能自体がこれであるか、あ…

加藤郁乎編『荷風俳句集』(2013)

淡い味わいの文芸作品。風流の人というよりは侘しさをまとった人が生きた言葉のすがた。香ることもあれと敢えてとどめた情感の残滓。 007 まだ咲かぬ梅をながめて一人かな188 凩(こがらし)や電車過ぎたる町の角(かど)233 寂しさや独り飯(めし)くふ秋の…

ニコラウス・クザーヌス「神を見ることについて」(1453)

無限について語るニコラウス・クザーヌスを読んでいるとつねにスピノザのことを意識するのだが、ニコラウス・クザーヌスは受肉や三一性も説きつづけるのでよりアクロバティックに見える。 もしそれが、無限性から縮限されることが可能なものであるならば、そ…

野口米次郎「月夜」(From the Eastern Sea 1903『東海より』より)

月夜 明月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉 悲しき月は山を、われは静かに山を離れ、漸くにして、われ、悲哀の思ひを、声なき風にふり落とせり。月の歩みは美しけれど冷たし、われも銀の平和を踏み、人間の路より遠ざかる。神秘の光、露を帯び、恰(あたか)も…

金子光晴・森三千代・森乾 『詩集「三人」』

金子光晴(父)、森三千代(母)、森乾(息子)三人が戦争から逃げるようにして生きている間に書き綴った私家版詩集。息子20歳とすると、父50歳、母44歳の時の作品。本に持っていかれた人生が生んだ詩。 誰とも顔を合されぬといつて、室のうちにひたが…

ニコラウス・クザーヌス「オリヴェト山修道院での説教」(1463)

超越的なものに向かい祈ることのできる人は洋の東西を問わず一人に強い。一人でも一人ではないように生きられるから。 修道士(monachus)とは、monosつまり「一人」という意味の語に由来するのであり、それにchusという語尾が付けられているのであるから、…

野口米次郎「われ山上に立つ」(From the Eastern Sea 1903『東海より』より)

われ山上に立つ かくてわれ山上に立ち、生命と沈黙の勇者………勝ち誇り、空に眼をむけ、突立ちあがり、没せんとする太陽を見て微笑み、麗しく悲しき告別を歌ふ。夕は神秘にてわれらをとり巻き、その香気は伝統の如くかんばし、ああ、われにしのび寄る諸々の思…

堀江貴文『ハッタリの流儀 ソーシャル時代の新貨幣である「影響力」と「信用」を集める方法』(2019)

楽しんで生きているからそれほど表には出てこないが堀江貴文は努力と勤勉の人なのだ。 自分の望みとは関係なく、世間の目を気にして物事を決めてしまう。そんなツマラナイ人間のハッタリなんかに誰も乗ってこない。自分が恥ずかしくてできないがこの人はフル…

ニコラウス・クザーヌス「ニコラウスへの書簡」(1463)

全能と限界付き能力の差異。人格神としてではなく神=無限として読み替えて参考にしている。 神においては不可能なことは何もないのであるから〔ルカ1・37〕、様態についてのいかなる問いも〔神においては〕消え失せるのである。なぜならば、神のうちでの…

野口米次郎「詩人」(From the Eastern Sea 1903『東海より』より)

詩人 深淵と暗黒をつん裂いて、輝き出づる神秘、一つの姿、完全なる物、恰(あたか)も太陽の上るが如し。ああ、その呼吸は香しく、その両眼は星の道を照らし、その顔に微風あり、彼は空にかかる幻想(まぼろし)の如く歩み、永劫の熱情を放散しゆく。彼は朝…

深光富士男『面白いほどよくわかる 浮世絵入門』(2019)

絵師だけではなく彫師、摺師の卓越した技術をやさしく教えてくれる一冊。紹介だけでなく消しゴム版画で実践に誘うところも魅力的。制作過程の紹介から簡易体験までの一連の流れをまとめあげた24ページから47ページまでがこの作品の味わいどころ。そこを…

野口米次郎「林間夜の夢想」(The Voice of the Valley 1892『渓谷の声』より)

林間夜の夢想 おお休息よ、お前の胸は天国の夢船を碇泊させる。私の追放された魂を迎へて呉れ。森よお前は、無宿の懲役人にさへも平和と自由の富を分ける。私をお前の腕に眠らせよ、私はそこが人間の力で守護される王国の鉄城よりも遙に安全な場所であること…

新見隆監修『20世紀の総合芸術家  イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ』(2017)

興味の発端は野口米次郎の息子という情報。でも、このブックレット一冊を眺めてみただけでも芸術家イサム・ノグチのほうが存在としては大きいということが感じられる。シュルレアリスム的な活動をしていた時の彫刻や舞台作品はどことなくジャコメッティを想…

野口米次郎「蟋蟀」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

蟋蟀 小川の辺で蟋蟀が鳴き始めると私の詩歌は始まる、 私の詩歌の第二章は静止の曲だ……… さてまた、第三章は何であらうか。 ああ、神様は宇宙一杯の掌を私の原稿紙の上に載せ給ふ。 主よ、この憐れな僕(しもべ)の為めその掌をのけ給へ。 私の願は無駄だつ…

野口米次郎「蝸牛」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

蝸牛 『ああ、友よ、なぜ君は今宵帰つて来ては呉れないの?』 私はこの小屋、いな、この寂しい世界で只管(ひたすら)に寂しい。 見ると戸口に、這つてゐる蝸牛は角をかくした……… 蝸牛よ、お前の角を出して呉れ! 東へ出せ、西へ出せ! 嗚呼真理はどこにある…

野口米次郎「独り谷間に於いて」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

独り谷間に於いて 雪片のやうな冷気がかつとおとして降りそそぐ、沈黙を割く夜の青白い風に脅(おびやか)かされて、冷気は眠つた木の間を彷徨(さまよ)つて私が谷間に敷いた寝床に迫つて来る。「お寝(やす)みなさい、遠く遠く離れた身内の人々よ!」…………

今井恵子編集『樋口一葉和歌集』(2005)

和歌を読む限りでは樋口一葉は情念の人。着火が早く、燃えはじめたら火力が強い。和歌に関してはどちらかというと燃えあがる前のどこかに静けさをたたえる歌の方が好み。 071 おもふことすこし洩らさん友もがなうかれてみたき朧月夜に112 涼しさもとなりの水…

野口米次郎「雨の夜」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

雨の夜 雨は屋根を叩く、私はその響きでびしょぬれになるやうに感ずる………私は沈黙の諧音を失ひ温かい黙想を失つた。私は真夜中寂しい寝床に横たはる。雨は私の部屋の暗闇を乱し飛散させるやうに私は感ずる。 ああ、雨は屋根に釘を打つ。いな夜の暗闇に釘を打…

堀江貴文『すべての教育は「洗脳」である』(2017)

教育は洗脳、学習は自己調教。言い方だけという気もするが、相対化していくことは大事だと思う。堀江貴文はそんなことよりも「没頭する力」が大切と言っているけれど、アクセルを踏むための環境を整えるための状況確認として本書のような文章もとても大切。 …

野口米次郎「影」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

影 私は影を喜ぶ、輝く善美のやうに自然で、真実の奴隷のやうに従順で、寂寞の表象とも云へる、又思想の姿だとも云へる。 私の霊は自分の影の上に横はつて、「運命」が私に立てと命ずるのを待つている。私は自分の体の柱によりかかる一時の訪問者に過ぎない…

GOMA・絵+谷川俊太郎・詩『Monado モナド』(2019)

交通事故の後遺症で光を過敏に感じるようになった画家GOMAの作品に谷川俊太郎の詩をあわせた一冊。押しとどめることのできないインプットに押し流されてしまわぬように向き合うほかなかったアウトプットの時間。過剰なものに向き合うことを可能にした点描画…

野口米次郎「敬意」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

敬意 私は口を閉ぢる。時間に私を支配する権利がない。私は世界の凡てから離れる。 私は私の魂の前に跪まづく貧しい修行者だ………知識を忘れ言葉を忘れ思想を忘れ生活を忘れる空虚の僧侶だ。 私は私の魂の目の窓を閉ぢる、耳の戸口に塀を築く、世界の香気は私…

堀江貴文『情報だけ武器にしろ お金や人脈、学歴はいらない!』(2019)

行動しながら情報を摂取していくことを勧める一冊。 情報を持たなければ、人は恐怖に駆られる。仕事や人生の、将来についての不安や恐怖の大半は「情報不足」が原因だ。今、「未来」の何かを怖がっているのなら、残念ながら、あなたは「情報弱者」ということ…

野口米次郎「群青色の空」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

群青色の空 空は群青色の天井ででもあらうか、どこかに立つている無形の春といふ煙突から吐きだす靄(もや)が、空の天井の穴から入つて来て、私共の広い世界といふ部屋を一杯にする。無邪気といふ形容詞も変だが、この靄には小児の呼吸みたやうなものがある…

野口米次郎「破れた笛」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

破れた笛 底の有るやうな無いやうな陽炎の海は平野に波うつ、一点彩色つけるのは寂しい孤児の草雲雀(くさひばり)が旅する影。 真昼時太陽は開けるだけ大きく眼を開き、地上に影がない。狂気な一寸ばかりの蝶、位を蹴落とされた天人かも知れないが、あたり…

前野隆司『AIが人類を支配する日 人工知能がもたらす8つの未来予想図』(2019)

受動意識仮説+幸福学の前野隆司がシンギュラリティを見据える世界について語った一冊。現状認識は正しく精密に、将来展望においては最大限の希望を掲げて前進することをすすめているように感ぜられた。特に東洋的あるいは日本人的な感覚からするとシンギュ…

野口米次郎「「最早なし」の沙漠」(Seen and Unseen 1896『明界と幽界』より)

「最早なし」の沙漠 無が「最早なしの宇宙」を包むまで、私の魂は暗黒と沈黙、いな神様と住んでゐる。 ああ、大いなるかな無よ! ああ、力強いかな「最早なしの沙漠」よ、そこで数かぎりなき存在が永劫の死に眠り、神様も私の魂も死する所。闇黒も沈黙も死す…

小川和也『デジタルは人間を奪うのか』(2014)

テクノロジーには良い側面もあれば危険な側面もあるということの再確認。テクノロジーの進歩を享受しつつ新しい世界の姿に適応していく労力も惜しんではならない。 本来、デジタルの船に乗り込んだわれわれには、これまでの偉大な想像よりももっと偉大な創造…