読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

フェリックス・ガタリ『カオスモーズ』(原著 1992, 訳:宮林寛+小沢秋広, 河出書房新社 新装版 2017)

固着し自閉しようとする力に対して、日常的で小さな活動が外や他のものに向けて自己を開き、新たな結びつきを創造的に生み出すことを論じた、スキゾ分析の実践者フェリックス・ガタリの遺作。
訳者の方針でガタリの普段の語り口を再現させるように訳されているため、インタビュー集のような親和感があり、日常に直結する実践的な思考案内の書となっている。

肝心なのは最終結果ではなく、多種多様な成分をあつかうマッピングの方法が主体化の動的過程と共存するにいたること、また両者の共存によって主体感の生産手段を奪還し、そのオートポイエーシスを可能ならしめることなのです。
(「主体感の生産をめぐって」より)

 

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【目次】
1 主体感の生産をめぐって
2 機械性異質発生
3 スキゾ分析によるメタモデル化
4 スキゾなカオスモーズ
5 機械性の口唇性と潜勢的なもののエコロジー
6 美の新しいパラダイム
7 生態哲学の対象

【付箋箇所】
25, 29, 35, 43, 47, 91, 92, 99, 123, 145, 159, 161, 167, 179, 195

フェリックス・ガタリ
1930 - 1992

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加藤楸邨『一茶秀句』(春秋社 1964)

俳人加藤楸邨の芭蕉研究の延長に生まれ出た一冊。研究者の書といってもいいくらい冷静な鑑賞で、俳句と俳文から一茶の悲しい性をしずかに伝える。

春立つや愚の上にまた愚にかへる

愚につける薬もあらざれば、なほ行末も愚にして、愚のかはらぬ世を経ることをねがふのみ

この文は多少の文飾があるにしても、一茶の、非を改めようとも改めきれない嘆きが、切実に洩らされているのを見落としたくない。

 

[3]一茶秀句 - 春秋社 ―考える愉しさを、いつまでも

【付箋箇所】
35, 45, 46, 49, 51, 52, 55, 68, 84, 165, 168, 174, 192, 195, 209, 227, 237, 255, 308, 326, 333, 361, 

加藤楸邨
1905 - 1993

加藤楸邨 - Wikipedia

小林一茶
1763 - 1828

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山本健吉『芭蕉全発句』(講談社学術文庫 2012, 河出書房新社 1974)

芭蕉の全発句、973句を制作年代順に注釈した著作。芭蕉の作風の変遷を、俳句研究の泰斗によって案内されることができる稀有な一冊。紀行文や七部集の成り立ちが自然に学べる。

www.kodansha.co.jp

【目次】
寛文・延宝
 寛文期
 延宝期
天和・貞享
 天和期
 貞享元年(天和四年)
 貞享二年
 貞享三年
 貞享四年
 貞享五年(元禄元年)
 延宝・天和・貞享期
元禄
 元禄二年
 元禄三年
 元禄四年
 元禄五年
 元禄六年
 元禄七年
 貞享・元禄期
年次不詳
 年次不詳

【付箋箇所】
33, 56, 105, 116, 120, 139, 141, 145, 166, 211, 215, 233, 240, 248, 249, 257, 263, 299, 353, 363, 385, 407, 410, 415, 416, 421, 446, 459, 483, 494, 501, 512, 521, 525, 556, 566, 592, 593, 608, 613, 621, 634, 636, 688, 697, 701, 706, 718, 734, 736, 742, 744

山本健吉
1907 - 1988

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松尾芭蕉
1644 - 1694
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89

 

與那覇潤『知性は死なない - 平成の鬱をこえて 増補版』(文春文庫 2021)

加速する資本の論理のなかで知性はいかに共生の道を考えていけるのか。

30代の半ばに重度の双極性障害を発症し、一時は言語能力にさえ支障を来たすようになった著者が、回復の途上で実践的に考察した知性の意味とその展開の記録。

知の番人たる大学人までもが科研費などの予算の獲得分配という制度に屈してしまうなかで、もとよりその傾向には批判的であった元大学人・元歴史学者の著者が、病で離脱を余儀なくされたのちに、より自分事として、自分の生きる平成の世の空気を分析し、その歪みに変わる共存主義としての新しいコミュニズム思想を提案している。

個人間の能力差の存在を認めながら、優劣の評価だけではない、共にあることの意味について逡巡しながらも考えつづける、今現在の知性のもっとも真摯なあり方のひとつがこの本にはあるようだ。大学とケアの現場という限られた現場から社会全体のデザインにまで向かうには相当隔たりがあり、さまざまな矛盾や困難も考えられるが、発想転換の強いきっかけになりそうな、なまなましい現場の力というものが本書の言葉には満ちている。

books.bunshun.jp

【目次】
Prelude 「うつ」の世紀に生きるあなたへ 
はじめに 黄昏がおわるとき
第1章  わたしが病気になるまで 
第2章 「うつ」に関する10の誤解 
第3章 躁うつ病とはどんな病気か
Interlude 大学でいちばん大切なこと
第4章 反知性主義とのつきあいかた 
第5章 知性が崩れゆく世界で
第6章 病気からみつけた生きかた
おわりに 知性とは旅のしかた
Coda1 知性の敗北あるいは「第二のルネサンス」
Coda2  大学のなかでこれ以上続いてはならないこと
Coda3  リワークと私 ―― ブックトークがあった日々

【付箋箇所】
18, 28, 54, 113, 126, 140, 150, 160, 166, 186, 199, 204, 210, 215, 216, 226, 234, 237, 238, 245, 250, 253, 255, 260, 264, 268, 270, 273, 275, 278, 293, 294, 295, 303, 320, 329, 332, 340, 344, 347, 354, 383

與那覇潤
1979 - 

與那覇潤 - Wikipedia

 

ジャック・ランシエール『美学における居心地の悪さ』(原著 2004, 訳:松葉祥一+椎名亮輔 インスクリプト 2025)

感性的なものを通して芸術と政治がどのような関係にあるのかを考察した書物。
基本的にセミナーや講演を集成した著作であるため、文章の息は長いが語りの印象が強い文体の美学書で、わりと読みすすめられやすいものではあるが、フランスの現代哲学への言及などもあったりして、なかなか難しい、というか頭に入りにくい。
助かるのは訳者解説が抜群に良いことで、消化不良に終わってしまうような私のような読者にも、全体として何を言わんとしていたのかをコンパクトに提示してくれている。この解説を読んでから本文に向き合った方が理解が高まる可能性は高い。

「政治」とは、感性的なものを共有されていないとされた者たちが、みずからの発言を正当な政治的発言であることを認めさせ、それまで分け前のなかった者が分配を要求することなのである。
「訳者解説」より

芸術は「感性的なものの分有」を揺り動かし、それによって政治を更新するものである、ということであるらしい。

 

inscript.co.jp

【目次】
序論
美学の政治
  政治としての美学
  クリティカル・アートの諸問題と変容
モダニズムの二律背反
  アラン・バディウの非美学――モダニズムのねじれ
  リオタールと崇高の美学――カントの反読解
美学と政治の倫理的転回

  原註
  訳註
  訳者解説

【付箋箇所】
10, 15, 24, 37, 44, 46, 52, 75, 90, 97, 100, 122, 138, 147, 165, 170, 181, 224, 226, 229, 230

ジャック・ランシエール
1940 - 

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ノエル・キャロル『批評について 芸術批評の哲学』(原著 2009, 訳:森功次 勁草書房 2017)

「批評とは本質的に理由にもとづいた価値づけである」という主張を軸に据えた分析美学の書。一見当たり前のように見える主張が現代的な批評にあっては逆に忌避されていることを憂慮して書かれた書物であるようだ。

芸術の各種カテゴリーのなかにおける批評対象作品の卓越性をとらえて価値づけることを、著者は批評と定義している。作品のカテゴリー分類を正確に行い、そのカテゴリーにおける作品のはたらきを分析特定し、見るべきものをその意味とともに説明記述していく。

地味ではあるが地に足のついたまっとうな理論であるので、批評の基礎学習の書として有効なのではないかと思う。原著が美学論文として書かれたものではなく、一般向けの書籍として企画刊行されたものであるために、初学者にも優しい内容となっている。

 

www.keisoshobo.co.jp

【目次】
第一章 価値づけとしての批評
 1 導入
 2 価値づけからの撤退
 3 批評の本性と機能 本章の要約
第二章 批評の対象
 1 導入
 2 成功価値vs受容価値
 3 芸術的意図は批評の価値づけに関わるのか:ラウンド1
 4 手短なまとめ
第三章 批評の諸部分(ひとつを除く)――批評はいかなる作業によって成り立っているのか
 1 導入
 2 記述
 3 分類
 4 文脈づけ
 5 幕間:用語法についての注意をひとつ
 6 解明と解釈
 7 分析
 8 ここまでの議論のとても短い要約
 9 芸術家の意図ふたたび:ラウンド2 意図と解釈
第四章 価値づけ 問題と展望
 1 導入
 2 でもそれって主観的なものですよね
 3 批評の原理は存在しない、という意見について
 4 分類(再び)
 5 批評と文化的な暮らし

【付箋箇所】
6, 8, 11, 35, 46, 53, 60, 63, 78, 89, 90, 103, 125, 166, 177, 181, 199, 201, 204, 207, 215, 219, 223, 231, 232, 235, 247, 253, 259, 271, 272

ノエル・キャロル
1947 - 

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復本一郎校注『鬼貫句選・独ごと』(岩波文庫 2010)と関悦史

「東の芭蕉,西の鬼貫」と並び称された江戸中期の俳人鬼貫の代表的発句と俳論を収めた文庫本。
「まことの外に俳諧なし」というのが鬼貫が貫いた俳道であった。

現代の俳人関悦史に
独楽澄むや《現実界(レエル)》のほかに俳句なし
という句がある。

《現実界(レエル)》というのは精神分析家のラカンが提唱した概念で、ありのままの世界というよりは、認識もコントロールもできないという意味でカントの「物自体」に近い。現象としては捉えられない世界なので「《現実界(レエル)》のほかに俳句なし」と言われた場合には、一気に難解性が増す。俳句は《現実界(レエル)》以外のなにものでもないということは、俳句は現象ではなく、イメージ(想像界)でもなく、言語によって分節構成された秩序(象徴界)でもないということで、俳句はたちまち捉えることはできないものとして身を隠してしまう。身を隠してしまうというよりも、存在者としてははじめから無くて、一句のなかにかろうじて立ち現れる無時間的な出来事としてしか存在しない。そのことを予感させるようにして取り合わせられたのが上五の「独楽澄むや」で、激しく動いているからこそ静止しているように見える事物の感覚を超えそうになる神秘性を喚起しているのだ。

関悦史の「《現実界(レエル)》のほかに俳句なし」と鬼貫の「まことの外に俳諧なし」。少し調べてみたところ誰も指摘はしていないようだが、このふたつはよく似ている。似ているというよりも、知性的で論理的な関悦史が先行者としての鬼貫に取材し転換引用した作品、鬼貫への挨拶なのだと思う。「独楽」と「独ごと」の表現上の類似性もそれを裏付けてくれているようだ。そう捉えると、たちまち鬼貫の「まことの外に俳諧なし」の「まこと」も、単なる真偽を超えたものとなり、不可能性に接した現代的な表現の問題へと接続することになる。古典といわれる作品が時代を超えて読み継がれるのは、こうした深淵を覗き込ませるような驚きの体験がそこかしこで持続的に発生しているからなのだろう。

鬼貫句私撰5句:
桃の木へ雀吐出す鬼瓦
骸骨のうへを粧(けはひ)て花見かな
秋風の吹わたりけり人の顔
水鳥のおもたく見えて浮にけり
水よりも氷の月はうるみけり

 

www.iwanami.co.jp


【付箋箇所】
俳論部分:
120, 122, 128, 135, 137, 157, 159
解説:
244, 246

上島鬼貫
1661 - 1738

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復本一郎
1943 - 

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関悦史
1969 - 

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