読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

セネカ『神慮について』( 原著 64, 岩波文庫 1980 )神々と人間が水平にいる世界観

『神慮について』は茂手木元蔵訳の岩波文庫旧版『怒りについて』に収録されている一篇。東海大学出版会の『道徳論集』にも収められている。

「神慮について」の原題は"De Providentia"。「神慮」は「摂理」とも訳される神学用語。セネカが神を語るときに想定しているのは、キリスト教の神ではなく、思想的にはソクラテスと同一地平上にあるギリシア・ローマの神々。気にしなくていいことなのかもしれないが、想定する神によって現世の構成や関係性も変わってくると考えておいたほうがよいようにも思う。

善き人のなすべきことは何か。自分自らを運命に委ねることである。宇宙と一緒に運び去られることを思うと、大きな慰めである。このように生き、このように死ぬことをわれわれに命じたものが何ものであろうと、それは同じ必然性によって神々をも縛る。変更することのできない進路が、人間のことも神々のことも同時に運んでいく。
岩波文庫旧版『怒りについて』「神慮について」p212 )

神も創造物も同じ摂理、必然性に従う。この等価性、対称性を保った思考の回路がとても現代的な印象を受ける。

 

セネカ
B.C.1 - 65
茂手木元蔵
1912 - 1998

 

【雑記】2021年春、捨てる本を選ぶ その2 捨てているのか捨てられているのかよくわからないが、本を捨てる、

4月に入ってから引越を前提に蔵書の整理をしている。18歳で上京してから6回目の引越になる。

本日4月16日。半月のあいだにカラーボックス3個分くらい捨てた。数年前までよく読んでいたドラッガーなどのマネジメント系書籍も、ドラッガーの教えにしたがって体系的に廃棄した。必要になったらまた買えるし、図書館で借りられるし、捨てても大丈夫。そう思えるものは、「箍はずれた?」と言われるくらいの勢いで捨てている。残ってくるのは、なかなか渋めのラインナップ。ベケットの戯曲&小説、ピエール・クロソウスキーの小説と哲学系の本、海外の訳詩集、品切れ気味の岩波文庫ちくま学芸文庫講談社学術文庫平凡社ライブラリー、古典系の角川文庫。残った本のタイトルを見ていると、もういい加減落ち着け、腹くくれと言われているような気もしてくる。

 

【言語練習 横向き詩篇】もじはしらない

もじはあなたによまれていることをしらない
もじはあなたにかかれていることをしらない
もじはあなたをかいていることをしらない
もじはあなたをよんでいることをしらない
しらない しらない もじは しらない

的場昭弘+佐藤優『復権するマルクス 戦争と恐慌の時代に』( 角川新書 2016 )

再読。「債務が国家をつくる」という的場昭弘の発言が斬新。

赤字国家を前提にすると、アソシアシオンの概念は吹っ飛びます。(中略)債務者を殺すわけにはいかない。長く生きてもらうしかない。(第一章「変質する国家」より)

理論よりも世俗世界にも通じる現実的な話が印象に残る。

www.kadokawa.co.jp

 

目次:
はじめに 資本主義の超克を「急ぎつつ、待つ」
第一章 変質する国家
第二章 マルクスと宗教性
第三章 社会主義はなぜ失敗したのか
第四章 『資本論』を読む
第五章 マルクスの可能性
おわりに 排除の世界をつくらない。その可能性


的場昭弘
1952 -
佐藤優
1960 -

 

萩原朔太郎編『昭和詩鈔』( 冨山房百科文庫 1940, 新装版 1977 )空虚さを清く保つ詩の力

昭和十五年に刊行された昭和詩のアンソロジー伊東静雄立原道造中原中也安西冬衛北園克衛中野重治草野心平三好達治宮澤賢治西脇順三郎金子光晴高橋新吉など、現在でも十分こころに響く芸術的美意識を込められた詩のことばを収集している。全48名、180篇、360頁と分量も充実していて、じっくり日本の詩のことばを味わうことができる。

文学や芸術のことは、人間の情操に根をもつ限り、政治や国勢の変化に雁行しない。世界の地図が三度塗り代えられる間にさえも、芸術は徐々として無関心に歩いているのだ。
(「序言」より 原文は旧字旧仮名)

時代が変わっても、満たされないもの空しいもの届かないものをめぐってことばが紡ぎ出されているのは大きく変わらない。生の基本的な色調ともいえそうな空虚感、無常感を詠いながら、どこかに清浄さを生み出している詩が萩原朔太郎によって選ばれているこの本は、古い本であってもなかなか捨てられない。

 

萩原朔太郎
1886 - 1942
安藤元雄(解説)
1934 -

落合陽一を読み返す 『魔法の世紀』(2015)『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(2018)

落合陽一の主著二作を読み返す。圧倒的計算力を基盤にした計算機主導の環境変革のありようが描出されている。言語よりも計算に信を置く立場ながら、言語で書かれた書籍としての完成度は高く、時代の動きに触れられる記念碑的な作品となっていると思う。インターネットやテクノロジーにより人間を相対化する視点は、まだまだなじみが薄く、奇異な印象を受ける場合もあるのだが、先端的な研究は魔術のように見えるというところを押さえながら読み込んでいけば、単純に反発するのもまたそれはそれで問題ということが了解できる。

我々の論理と感覚のフレームは人間の処理能力と生得的解像度による量子化を突破し、インターネットに接続された自然の上に展開される。それは、いまの映像的なフレームで切り取る自然ではなく、フレームの外へ飛び出した自然の形である。
(『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』終章「思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー ――未来を予測する最適の方法としての」p226-227 )

人間中心的なフレームの外を語るときに参照されるのが『華厳経』であり老荘のテキストであり禅的世界につながる侘寂の文化的蓄積であったりするところは、古い時代の人間にとっても連想を働かせやすくされてくれているのだが、このへんの言語側の表現もより充実させていってもらうと嬉しい。新しい連載もはじまっているようなので、展開が期待される。

 

wakusei2nd.com

 

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目次:

『魔法の世紀』( PLANETS 2015 )

第1章 魔法をひもとくコンピュータヒストリー
第2章 心を動かす計算機
第3章 イシュードリブンの時代
第4章 新しい表層/深層
第5章 コンピューテショナル・フィールド
第6章 デジタルネイチャー


『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』( PLANETS 2018 )

まえがき

第1章 デジタルネイチャーとは何か
――オーディオビジュアルの発明、量子化、デジタル計算機、そして計算機自然、デジタルネイチャーへ

第2章 人間機械論、ユビキタス、東洋的なもの
――計算機自然と社会

第3章 オープンソースの倫理と資本主義の精神
――計算機自然と自然化する市場経済

第4章 コンピューテーショナル・ダイバーシティ
――デジタルネイチャー下の市民社会像、言語から現象へ

5章 未来価値のアービトラージと二極分化する社会
――デジタルネイチャーは境界を消失させる

第6章 全体最適化された世界へ
――〈人間〉の殻を脱ぎ捨てるために
終章 思考の立脚点としてのアート、そしてテクノロジー
――未来を予測する最適の方法としての

あとがき 汎化と遺伝子と情報

 

落合陽一
1987 -