読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ヘーゲル『小論理学』(「エンチクロペディ―」第3版原書 1839 岩波文庫 1951/52 全二冊 )

思惟と認識の無限を語るヘーゲルの論理学はなんだか心強さを与えてくれる。

モーゼの伝説には、神は人間をエデンの園から追放し、もって人間が生命の木の実をも食べないようにした、と言われているが、この意味は、人間は自然的側面からすれば、有限で死すべきものであるが、認識においては無限であるということである。
(「予備概念」 p130 )

先行テクストを読むことに関するヘーゲルの能力の高さにも驚きながら読みすすめた。『大論理学』にも手を伸ばしてみたい。

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【付箋箇所】
上巻:
65, 90, 109, 122, 125, 130, 137, 143, 150, 153, 178, 182, 184, 186, 192, 193, 202, 207, 219, 234, 237, 242, 249, 267, 270, 274, 284, 288, 316, 330
下巻:
12, 29, 33, 37, 54, 57, 84, 88, 100, 117, 119, 150, 200, 205, 208, 209, 211, 218, 229, 238, 240, 248, 252


目次:

[上巻]
第一版への序文(一八一七年)
第二版への序文(一八二七年)
第三版への序文(一八三〇年)
エンチクロペディ―への序論
論理学(エンチクロペディ―第一部)
予備概念
A 客観に対する思想の第一の態度
B 客観に対する思想の第二の態度
 一 経験論 
 二 批判哲学 
C 客観に対する思想の第三の態度
論理学のより立入った概念と区分
第一部 有論
A 質
 a 有r
 b 定有
 c 向自有
B 量
 a 純量
 b 定量
 c 度
C 限度

[下巻]
第二部 本質論
A 現存在の根拠としての本質
 a 純粋な反省規定
  イ 同一性
  ロ 区別
  ハ 根拠
 b 現存在
 c 物
B 現象
 a 現象の世界
 b 内容と形式
 c 相関
C 現実性
 a 実体性の相関
 b 因果性の相関
 c 相互作用
第三部 概念論
A 主観的概念
 a 概念そのもの
 b 判断
  イ 質的判断
  ロ 反省の判断
  ハ 必然性の判断
  δ 概念の判断
 c 推理
  イ 質的推理
  ロ 反省の推理
  ハ 必然性の推理
B 客観
 a 機械論的関係
 b 化学論的関係
 c 目的論的関係
C 理念
 a 生命
 b 認識
  イ 認識
  ロ 意志
 c 絶対理念


ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
1770 - 1831
松村一人
1905 - 1977

 

参考:

uho360.hatenablog.com

 

uho360.hatenablog.com

小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会 2009)

先の連休中に読んで感銘を受けた優れた教科書、導入書。特に簡明を絵にかいたような黒板書きみたいな掲載図には心打たれるものがある。実際の大学の授業で説明の言葉とともに掲載図と同質の黒板書きに出会ったら、より深くお教えを乞いたいと思わずにはいられないような知の歴史の凝縮された姿がある。「形相(or 形式)」と「質料(or 素材)」の関係から創作と創作者の位置を、歴史的な論者とその現代的な展開をしている研究者に目配せを利かせつつ、現代まで基本暦年形式でたどってくれている。図書館から借りて読了済みとなった書籍ではあるのだが、手元において何かあった時には参照したいというおもいを抱かせてくれる優れた書物である。東京大学出版会刊行、本体価格2800円。もし機会があれば、つまみ食いだけでもぜひともしていただきたい一冊。昨晩私は久方ぶりに手書きでノートをとっていた。B4ノートわりとびっしり4ページ、所要時間約2時間。一度では全部身につかない情報量であると、書きとりながらあらためて感じたが、まあ、何かしら痕跡が残ってくれさえすればそれでよい。

さて、ここは手書きではない電脳の世界。小田部胤久『西洋美学史』は優れた読書案内の書でもあるのでそちらの情報をメモさせていただく。

 

【読書案内メモ:論考本文から気になる人と本をピックアップ(基本的に章の中心人物以外)】

第一章 知識と芸術――プラトン
 ホワイトヘッド『過程と実在』、プラトン『イオン』『ゴルギアス』『国家』

第二章 芸術と真理――アリストテレス
 アリストテレス詩学』、アドルノ『美学理論』、西村清和『現代アートの哲学』

第三章 内的形相――プロティノス
 エルンスト・カッシーラー『英国のプラトンルネサンス

第四章 期待と記憶――アウグスティヌス
 ガーダマー『真理と方法』、ヤウス『挑発としての文学史』、ポール・リクール『時間と物語』

第五章 制作と創造――トマス・アクィナス
 ヒューム『人間知性論』、バーク『崇高と美の観念の起源についての哲学的考察』、コウルリッジ、ベルクソン

第六章 含蓄のある表象――ライプニッツ
 ヘルダー、エルンスト・カッシーラー啓蒙主義の哲学』

第七章 方法と機知――ヴィーコ
 アイザイア・バーリンヴィーコとヘルダー』

第八章 模倣と独創性――ヤング
  T・S・エリオット「伝統と個人の才能」、ノースロップ・フライ『批評の解剖』

第九章 趣味の基準――ヒューム
 ブルデューディスタンクシオン』、ガーダマー『真理と方法』

第一〇章 詩画比較論――レッシング
 クレメント・グリーンバーグモダニズムの絵画」、レンサレアー・W・リー『詩は絵のごとく』

第一一章 自然と芸術I――カント
 伝ロンギノス『崇高について』、アドルノヴェーベルンジンメルヴェネチア」ほか、大西克礼『美学』

第一二章 遊戯と芸術――シラー
 プラトン『法律』、ハーバーマス『近代の哲学的ディスクルス』、テリー・イーグルトン『美のイデオロギー

第一三章 批評と作者――シュレーゲル
 ロラン・バルト「作者の死」、ベンヤミン『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』、浅沼圭司『象徴と記号』

第一四章 自然と芸術II――シェリング
 リオタール『非人間的なもの』、ツヴェタン・トドロフ『象徴の理論』

第一五章 芸術の終焉I――ヘーゲル
 竹内敏雄訳のヘーゲル『美学』全9冊

第一六章 形式主義――ハンスリック
 クレメント・グリーンバーグアヴァンギャルドキッチュ」、ジンメル社会学的美学」、アドルノ『美学理論』、アンリ・フォシヨン『かたちの生命』
 
第一七章 不気味なもの――ハイデガー
 メルロ=ポンティセザンヌの懐疑」、渡邊二郎『芸術の哲学』、大澤真幸『「不気味なもの」の政治学

第一八章 芸術の終焉II――ダントー
 ヴェルフリン『美術史の基礎概念』

 

西洋美学史 - 東京大学出版会

【付箋箇所】
ⅰ,ⅶ, 10, 18, 21, 25, 32, 36, 47, 56, 67, 92, 103, 112, 124, 127, 129, 136, 147, 151, 152, 166, 167, 173, 175, 184, 195, 201, 203, 212, 225, 228, 236, 239

 

小田部胤久
1958 -

 

中島隆博『ヒューマニティーズ 哲学』(岩波書店 2009 )

中島隆博は千葉雅也の師であり松浦寿輝の弟子の位置にいる変わった感じの優秀な哲学者。東洋哲学、特に中国哲学を専門としている。老子ヘーゲルの組み合わせに憩っている感じのある2021年夏の私には、荘子ドゥルーズという組み合せや、孔子ドゥルーズという組み合せから思考を動かそうとする中島隆博はまぶしく且つ恐ろしい。怒られそうなピりついた気配がある。一享受者として著作から適度に刺激をいただいている分にはたいへん気持ちがいいのだが、もし、万が一対面して話をうかがうような機会があったとしたら、学知の力で刺し貫かれてしまいそうな恐さがある。私の好きな空海紀貫之なども論じている『思想としての言語』(岩波書店 2017)にしても、折からの蔵書棚卸の再読の途中で、ああこれは本気で勉強すると時間がかかるということを感じて、2章まででサスペンドしている状態になっている。空海をゆっくりじっくり読み返すとなると、空海に向けてコンディションを整える必要があるので、自然な流れに逆らって読書選択対象を強引に変えてしまうのは難しい。でも、中島隆博という人物は気になる存在ではあるので、手ごろな書籍があればひょいと飛びつく。岩波書店のシリーズ「ヒューマニティーズ」は各分野の最新の人文学的知の世界を紹介する一冊120ページ程度の圧縮された導入書。新進気鋭の執筆者が問いかけ語る密度の濃い書作群になっているようだ。中島隆博『ヒューマニティーズ 哲学』は、45歳の時の仕事となる。著作の中ではドゥルーズやサイードを引き合いに出して、蓄積とともに猛々しさを併せ持つことのある「晩年性」という概念について紹介をしたりしているのだが、勢いのある脂ののった壮年期の清々しさのなかで「晩年性」について無理なく取り組んでいるところなど大変興味深い。

哲学は概念を定義することによって、過去を救済し、事物を救済し、新たな社会的・政治的な共生の空間を発明する実践である。
(四「哲学の未来──哲学は今後何を問うべきなのか」p85)

言葉をつくりあげ、ともに語らい、意味のひろがりを体験することで救済昇華させてあげるという方向性を指ししめしてくれている。「事物を救済し」というところは、語りの流れをなしにしてしまうと分かりづらいところで、第二章のベンヤミンの翻訳論の論述を引き継いでいる。

ベンヤミンは、「言語一般および人間の言語について(1916年)において、万物が言語に関与しているとした上で、人間独自の働きは事物に名を与えることによって、「事物の言語を人間の言語へ翻訳すること」だと考えた。つまり、翻訳とは、事物に名を与えることで、自らを伝達しようとする事物の声なき声を聞き取ることだというのである。
(二「哲学と翻訳そして救済──哲学を学ぶ意味とは何か」p40 太字は実際は傍点)

スピノザの「すべての個体は、程度の差こそあれ、精神を有しているのである」(『エチカ』第二部、定理一三・備考)」というところの先の、種類を異にする複数個体間の交流の話になっているようで、とても印象深く読んだ。

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【付箋箇所】
7, 10, 53, 55, 61, 80, 82, 85, 89

目次:
はじめに
一、哲学はどのように生まれたのか
二、哲学と翻訳そして救済──哲学を学ぶ意味とは何か
三、哲学と政治──哲学は社会の役に立つのか
四、哲学の未来──哲学は今後何を問うべきなのか
五、哲学を実践するために何を読むべきか
おわりに

中島隆博
1964 -

参考:

uho360.hatenablog.com

 

【4連休なのでユリシーズと美学の本を読んでみる】03 連休4日目、緊急対応案件発生で余暇強制終了(16:00)で、美学系の読書が中途半端で終わる

16時前、思わぬ架電。出て見るとクレームの通知。身に覚えはないが、自分自身以外の共同行動者の振舞いを考えてみると該当者と問題行動がほんのり浮かび上がってくる。確認のため、こちらから連絡。先方の守秘義務以外の苦情に関わる情報をなるべくお聞かせいただくようにして、当方の不備行動候補と照らし合わせる。最初は苦情に思い当たる節はなかったため、言いがかりではないかという思いもあったが、見落としていた部分を当てはめてみると、みごと合致。対応策をご提案の上、まずは事象解消されるかどうかしばし猶予期間をいただく。とりあえず、鎮火の方向に向かっている感触はあるが、この先どうなることやら。怒りの主は私ではなく、本来的な責任主体も私ではないため、事態の推移を見守りつつコントロールするほかはない。

20時30分、本日できるかぎりの対応完了。

もう、連休モードには戻れないと悟ったため、飲酒。パノフスキーの『イデア 美と芸術の理論のために』の途中で、とりあえずの錨を降ろす。

本日分読書:

 

1.
at 風呂 with 音楽 by STEVE REICH / "SEXTET・SIX MARIMBAS"(1985あたり)×2周 = 約90分
アレクサンダー・ゴットフリーブ・バウムガルテン『美学』(第二巻第二十二節「崇高に対立した諸欠点」§316まで )
※大作『ユリシーズ』読了後の、何を考えても『ユリシーズ』の各場面が頭に浮かんでしまう状況を、風呂の湯のあたたかさとともに、ゆんわりと解きほぐし、俗なる現実世界にじんわり引き戻してくれた作品。熱くはあるのだが、時代が過ぎてしまった後のやるせなさのようなものとともに文章を味わうと、また別格。「余白」「教養」?、にしてもよいのだろうかと思いつつ、誰かが読みつなぐことなしに何も繋がらないと思い一般市民も読む。バウムガルテン『美学』。

 

2.
小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会 2009)読了。
大学の教養部で10代最後の季節をこの方の授業と共に過ごしたら人生ちがっていたかもしれないと思わせてくれる稀な一冊。

目次はこう。
第一章 知識と芸術――プラトン
第二章 芸術と真理――アリストテレス
第三章 内的形相――プロティノス
第四章 期待と記憶――アウグスティヌス
第五章 制作と創造――トマス・アクィナス
第六章 含蓄のある表象――ライプニッツ
第七章 方法と機知――ヴィーコ
第八章 模倣と独創性――ヤング
第九章 趣味の基準――ヒューム
第一〇章 詩画比較論――レッシング
第一一章 自然と芸術I――カント
第一二章 遊戯と芸術――シラー
第一三章 批評と作者――シュレーゲル
第一四章 自然と芸術II――シェリング
第一五章 芸術の終焉I――ヘーゲル
第一六章 形式主義――ハンスリック
第一七章 不気味なもの――ハイデガー
第一八章 芸術の終焉II――ダントー


一般的高卒レベルでは太刀打ちできないラインナップ。
焦らず焦って知を吸収させてあげる時間を確保してあげるのが教師のひとつの役割かと、学問の近傍に佇む傍観者は(税金はかなり払って協力はしているんだけどなと思いながら)無言で観察する。
かりに、私が新卒の大学の教養学部生で、この小田部胤久教授の美学の授業に触れたとしたら、ちゃんとドイツ語と大陸哲学を教えてくれる文学部哲学科を専攻して勉学に励んで、いまでも美学の優れた教科書として大事に扱ったに違いない。
私の実際は、自由研究学科でロシアフォルマリズムに触れつつ批評理論を独学。そして、その独学ゆえにプロフェッショナルな世界では通用しないという学問の厳しさを、時間をかけてじんわり間接的に知るという、20数年をかけて生殺し的な自業自得の着地点をなんとなく知りなんとなく受け入れるという、曖昧な着地点に遭遇し、言葉を失い、且つ、言葉が出るかもしれない何かの直前に向きあうという、なんともやりきれないところに住まう。
※小田部胤久『西洋美学史』は、各章毎の記述ももちろん素晴らしいが、簡潔明快な美的概念の図示が秀逸(全部引用したいくらいだが、それは著作権上無理)。覚えておきたい各時代各立場の信念が、図示によって示されるのは非常に効率的。副次的な思考の歩みさえ、無理なく補助してくれている。名著。

 

3.
エルヴィン・パノフスキーイデア 美と芸術の理論のために』(原書 1960, 平凡社ライブラリー 2004)

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架電による中断にあったのは第四章「マニエリスム」の途中。
その章までで、特に興味深かったのは第一章「古代」のうち「プロティノス」の章の記述。

プロティノスの考え方によれば、「ヌース」は自分自身から、そして自分自身のうちにイデアを生みだす。「ヌース」は「流出」することで、自らの純粋で非物体的思惟を空間世界のなかに注ぎ入れなくてはならず、その空間世界のなかで形相と質量は分離し合い、根源的像の純粋さと一性は失われてしまう。
(エルヴィン・パノフスキーイデア 美と芸術の理論のために』第一章「古代」p47 )

個人的な放言の部類としてメモしておきたいところは、
プロティノスの「ヌース」とヘーゲルの「絶対精神」はなんだか似ている
ということ。

根源の「ヌース」あるいは「絶対精神」から質料が出て来るというような、神秘主義にも現代物理学の場の理論にも通じるロジックは、質量の起源というところに眼を向ける宇宙論的な眼差しの方向性が感知できるので、取りつく島がある。対してスピノザの自然即神の宇宙では、属性としての精神と延長は語られるものの、延長(=物質)の始源には興味が向かず、現状の読解には過不足はないが、起源についての記述は欠落していたように思う。神即自然は無限の実体で、無限だから起源なんてあるかよと言われればまことに御尤もと私は折れるが、他の方はどうなのか分らん。

ちなみにジョイスの『ユリシーズ』の主人公のレオポルド・ブルームの語りに出て来る哲学者の筆頭は、バルーフ・デ・スピノザ。自宅の書棚に収まっている著作にも「スピノザ哲学抄」が見える(第17章「イタケー」)。起源でも目的でもなく、いまここの文体、様相にこそ興味を持つというジョイスの性向にかなり親和性のある哲学者なのだろう。バルーフ・デ・スピノザ

 

中間休止

 

 

 

【4連休なのでユリシーズと美学の本を読んでみる】02 連休3日目通読完了:丸谷才一ほか訳『ユリシーズ』後半(13から18章)読了後の虚脱と祝杯のなかブログを書く

変則的な訳者訳書構成ではあるがジョイスの『ユリシーズ』の通読完了。ひさびさに「全体小説」©ジャン=ポール・サルトルということばが思い浮かんできた。「全体小説」は、サルトルジョイスの『ユリシーズ』などの先行作品を想定して作り上げた概念(自作の試みは未完の『自由への道』:未読)。「人間を,それを取り巻く現実とともに総合的・全体的に表現しようという試み」©ブリタニカ国際大百科事典と定義されている。「総合的・全体的に表現しようという試み」の含意の中に、内容ばかりでなく記号表現の全体ということも入っているのだなと、実地をもって示してくれているのが『ユリシーズ』という作品で、神話から現代小説にいたる文体史の取り込み、史的な適応領野の形式と媒体ごとに異なる各種表現スタイル、英語をベースに各種複数言語が取り混ぜられた混交言語表現、さらに言語の歴史と18種ともいわれる各国語に通暁したジョイスが切断混交研磨変形を施したジョイス独自の語彙ジョイス語をちりばめ、圧縮重層化した全体を想起させる表現が、日本語訳という二次的創作物であっても読む者の感受性に訴えかけてくる。凄いというかおそろしいというか、表現の幅の広さと奥行きの深さに圧倒される。

 

今回読書の日本語訳内訳と実体験データ(2021年現在いちばん流通している物):
※おそらく、私以外の人には一番有用になりそうな実地体験データ

読了までの想定時間は34時間なので、法定労働時間で考えると4日分強の分量(←計算違いしていたので修正)。
※賃金換算して、割に合わないと思うか、自己投資と思うか、純粋な余暇の贅沢と思うかは、ひとそれぞれ。

 

前半:(1~12章)
柳瀬尚紀訳『ユリシーズ 1~12』(河出書房新社 2016)全572ページ 通読所要時間:(実質12~13時間)

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丸谷才一ほか訳(集英社本サイトの情報は少ないので紀伊国屋書店にリンク:ちなみに私、アフィリエイトはやってません)
第01挿話~第08挿話 687

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第09挿話~第13挿話 725

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集英社文庫ページ数をみると想定していたものよりかなり多い。たぶん活字ポイントがデカいのだろうが実物を見ていないので想像にすぎない。ページ数をみると、なんだかドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、もしくは、モンテーニュの『エセー』などと分量としてはほぼ同じ階級なのかも知れないと読後あらためて感じる。集英社文庫版換算で1時間に100ページにとどきそうなペースであればかなり早い。柳瀬尚紀、やはり恐るべき存在。

ちなみに河出書房新書世界文学全集の丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ Ⅰ』は柳瀬尚紀ユリシーズ 1~12』とおなじく12章までで下二段組み全471ページ.

後半:(13~18章)
河出書房新書世界文学全集の丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ Ⅱ』(河出書房新社 1964)上下二段組み全476ページ
 通読所要時間:
  第13章    2021/07/22 51ページ  2時間弱
  第14~16章 2021/07/23 268ページ 12時間弱
  第17~18章 2021/07/24 158ページ  8時間弱

 

文庫版該当箇所:
丸谷才一ほか訳(集英社本サイトの情報は少ないので紀伊国屋書店にリンク:アフィリエイトではない単なるリンクです)
第14挿話~第15挿話 663

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第16挿話~第18挿話 620

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1.読書にかかる時間と訳の質
日本語訳の『ユリシーズ』のなかでいちばん読み通すのに時間をかけて根気よく読まなくてはならないのは、おそらく14章「太陽神の牛」。柳瀬訳は対象範囲外、旧訳担当は丸谷才一。二世代くらい前の有名な文学者、小説家。好き嫌いは人それぞれだと思うけれど、一般的には一級で、ある傾向の代表者として批判対象にも取り上げられるような存在。

くだくだしく注をつけることは、むしろ読者が『ユリシーズ』に参加することの妨げる結果にさえなろう。役者たちはそれ故、解釈を中の形ではなく、文体それ自体によって表現したいと願った。
第十四挿話「太陽神の牛」の英語文体史のパロディないしパスティーシュによる構成を、和臭がつくことを恐れずに敢えて、『古事記』『萬葉集』にはじまり現代へと至る日本語文体史のパロディないしパスティーシュという形で訳したのは、このような考え方の最も露骨な現れなのである。

河出書房新書世界文学全集の丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ Ⅰ』(「解説」p470 )

これはいまさら言っても詮無いことなのだけれど、『フィネガンズウェイク』にもっとも近い印象を受けるこちらの第14章「太陽神の牛」は、ぜひとも柳瀬尚紀訳でも読み、丸谷才一訳と比較してみたかった。訳業に関して「考え方の最も露骨な現れ」が現われる古典のパロディーとパスティーシュ、読みやすさと味わいと文化的差異照応を含めた解釈について、言表レベルで比較すると柳瀬尚紀丸谷才一は同じことを言っているように思えるが、私のこれまでの両者作品消化状況を考えてみると、柳瀬尚紀のほうが翻訳の仕事に関してはこだわりが強いように思える。それにかんして、いまは個別に比較ができないけれども、12章までの訳業の読みのスムースさと、『フィネガンズウェイク』の訳業の統一感と、丸谷才一訳「太陽神の牛」に感じる消化不良感のため、丸谷訳の「太陽神の牛」は乗りずらい。したがって読み取るのに時間もかかる。パロディーやパスティーシュの日本的移植を目指したのであれば典雅と滑稽の中間を行く訳文であって欲しいのに、丸谷訳にはなんだか貧乏くさくてどの古典かと疑いたくなるような訳が混入している印象も持った(←あくまで私見)。

柳瀬尚紀の翻訳のこだわりに関してはこちらも参考にしてください。

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com


2.全体小説

ユリシーズ』は「全体小説」である、というふうに考えると、その全体の中には私もいるはずだ、ということに思いいたる。私の意識は文体的には内的独白の男性系統(レオポルド・ブルーム、スティーブン・ディーダラス)もしくは第12章の「俺」(柳瀬尚紀解釈だとオス犬)に、私の社会的客観的存在は男性系統の外面的自然描写に、タイプとしては主役級の人物とは年齢も立場も意識もだいぶ違っているので、脇役のだれかしらにたどり着く。自己判断すると、第7章にでてくる植字工、第9章にでてくる図書館職員、あるいは第16章にでてくる客を待つ二輪馬車の馭者といったところ。『ユリシーズ』の舞台時間は1904年6月16日のダブリン市内で、電車は施設されているけれども家電などはまだ開発普及されていない時代。日本では日露戦争の時代。「植字工」なんていまはいないだろうけれど、私が現在所属しているシステムエンジニアプログラマ職の相当の部分は植字工とあまり変わらない、正しく配置されるべきところに正しいユニットをしかるべく置くという仕事。そして仕事の合間に接触する人間の人間関係に関心をもったりあえて近づかなかったりというのもまったくおなじ構造。自分の実際の存在も、文字記号を使って表現することの現在も、100年以上前のジョイスの時代と直結してしまうところが、まったく違う時代を生きているようにも思えるときもあるのに、とてもこわい。

 

長くなってしまったので(飲みながら3時間くらい書いて終らないので)、書ききれなかったことはまた後日。

 


ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス
1882 - 1941
柳瀬尚紀
1943 - 2016
丸谷才一
1925 - 2012

 

 

【4連休なのでユリシーズと美学の本を読んでみる】01 連休初日:柳瀬尚紀の最後の仕事に一日向き合う

本読みは本を読みながらその途中で人生を終える。作家は本を読み本を書きながらその途中で人生を終える。翻訳家は本を読み翻訳をしながらその途中で人生を終える。区切りのよいところで人生を終えるということは自然の摂理にしたがってる限りそうそうあるものではない。書物を通してひとの人生の表向きの部分に触れることができる読書空間では、本を読まない人にくらべれば圧倒的に人の死のまぎわの生きざまに触れることが可能だ。そのことだけでも本を読むということの至福はある。河出書房新社柳瀬尚紀ジェイムズ・ジョイスユリシーズ1-12』は未完の仕事。全18章のうち12章までの訳業で、分量的には前半部にすぎないが、既存訳とは全く異なる作品観を提示してくれている。これは原語だけで読むものには味わいがたい他言語による解釈の重層化、批評的な視点を含めた作品解釈の重ね合わせ的提示になっていると考えられる。

柳瀬尚紀の新訳を軸にした『ユリシーズ』再読の連休初日の進捗は、『ユリシーズ1-12』通読完了+丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳『ユリシーズ』第13章「ナウシカア」読了まで。柳瀬訳の自在でユーモラスな作品提示に比較すると、旧訳の訳文の硬さや注釈の入る渋滞感、解釈に要する時間的効率のちがい(鋭さ/鈍さ)のようなものがあり、二つの訳業をおなじ原作品に収束するという印象にはいたらない。個人的にはスピード感があり諧謔味の薄れることのない柳瀬訳に、圧倒的に軍配を挙げたい気分ではあるのだが、現時点で日本語環境において複数訳が存在している現実のめでたさのほうをもっと強調したほうがよいかもしれない。いざとなれば原文のジョイス的英語に触れながら、複数の解釈者による日本語環境での変換表現に触れて、自分自身の日本語表現に、奇妙でありながらどこかうまみのある果実を取り込む。ジョイス柳瀬尚紀とともに生きるということは、実際に読んだものだけが生きることのできる記号の空間で、その記号空間に関しては、新規参入者を歓待するための義務が現享受者には不可避的に与えられている。旧訳にはない喜びはなにか、といった新規参入者歓待に関わる言説は、しかしながら今はすこしおいて、とりあえずは現シリーズでの読了を優先したい。完結を前提としない今時点での文字記号表現の充実と、作品通読後の表現全体の組み替えあるいは統一感の受領をまずはめざしてみたい。

 

本日の進捗:
読書時間:AM9:00~PM25:00(実質14~15時間)
・『ユリシーズ』(柳瀬尚紀訳12章+旧訳1章)
・朝風呂+夕風呂時の読書:バウムガルテン『美学』§141まで
 ※味わいがかなり複雑な『ユリシーズ』には、学の黎明期の比較的素朴な『美学』を合せたらいいかなという選択

前日は小野恭子『ジョイスを読む』の20代の論文と、小田部胤久『西洋美学史』の第三章「内的形相 プロティヌス」あたりまでを呑みながら読んで、寝落ち。

 

【4連休なのでユリシーズと美学の本を読んでみる】00 序奏:企画と準備

昨年の夏の4連休(2020.07.23~2020.07.26)では、柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を読んだ。今年は基本的に柳瀬尚紀訳でジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読んでみたい。「基本的に」というのは、訳者柳瀬尚紀が12章までと第17章「イタケー」を訳し終えたところで亡くなってしまったから。残りの部分は昔読んだことのある丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳で補完の予定。1から12章を両訳くらべながら読んでみるのもありだなと思いつつ、小説だけで四日間を過ごしきる自信がちょっとないので、芸術系の理論書も用意してみた。

さて、どこまで読めますことやら

 

準備したもの:

■『ユリシーズ』関連

柳瀬尚紀訳 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ1-12』(原書 1922, 河出書房新社 2016)

www.kawade.co.jp

丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳 ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』(原書 1922, 河出書房新社 世界文学全集 1964)
※現在は集英社文庫で入手可能雄

集英社の本 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(

A・N・ファーグノリ+M・P・ギレスピー 『ジェイムズ・ジョイス事典』(原書1995, 訳書 松柏社 1997)

松柏社 『ジェイムズ・ジョイス事典』

 

小野恭子『ジョイスを読む』(研究社出版 1992)

honto.jp


ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス
1882 - 1941
柳瀬尚紀
1943 - 2016

 

■美学関連

小田部胤久『西洋美学史』(東京大学出版会 2009)

西洋美学史 - 東京大学出版会

目次:
第一章 知識と芸術――プラトン
第二章 芸術と真理――アリストテレス
第三章 内的形相――プロティノス
第四章 期待と記憶――アウグスティヌス
第五章 制作と創造――トマス・アクィナス
第六章 含蓄のある表象――ライプニッツ
第七章 方法と機知――ヴィーコ
第八章 模倣と独創性――ヤング
第九章 趣味の基準――ヒューム
第一〇章 詩画比較論――レッシング
第一一章 自然と芸術I――カント
第一二章 遊戯と芸術――シラー
第一三章 批評と作者――シュレーゲル
第一四章 自然と芸術II――シェリング
第一五章 芸術の終焉I――ヘーゲル
第一六章 形式主義――ハンスリック
第一七章 不気味なもの――ハイデガー
第一八章 芸術の終焉II――ダントー

 

今道友信編『西洋美学のエッセンス』(ぺりかん社 1987, 1994)

図書・出版 ぺりかん社

目次:
1 プラトン
2 アリストテレス
3 プロティノス
4 アウグスティヌス
5 トマス・アクィナス
6 レオナルド・ダ・ヴィンチ
7 シャフツベリ
8 バウムガルテン
9 ディドロ
10 カント
11 ヘーゲル
12 シェリング
13 リップス
14 クローチェ
15 ルカーチ
16 ハイデガー
17 スーリオ
18 ランガー
19 アドルノ
20 デュフレンヌ
21 バルト
22 現代西洋美学の動向
現代美学の課題と展望

 

ディルタイ『近代美学史 ―近代美学の三期と現代美学の課題―』(原書 1892, 岩波文庫 1960)

www.iwanami.co.jp


エルヴィン・パノフスキーイデア 美と芸術の理論のために』(原書 1960, 平凡社ライブラリー 2004)

www.heibonsha.co.jp

目次:
1 古代
2 中世
3 ルネサンス
4 マニエリスム
5 古典主義
6 ミケランジェロデューラー

 

ポール・ド・マン『美学イデオロギー』(原書 1996, 平凡社ライブラリー 2013)

www.heibonsha.co.jp

目次:
編者序論 ―指示作用のアレゴリー
メタファーの認識論
パスカルの説得のアレゴリー
カントにおける現象性と物質性
ヘーゲルの『美学』における記号と象徴
ヘーゲルの崇高論
カントの唯物論
カントとシラー
アイロニーの概念
レイモンド・ゴイスに答える


アレクサンダー.ゴットリープ・バウムガルテン『美学』(原書 1750/58, 講談社学術文庫 2016)

bookclub.kodansha.co.jp


目次:

第一巻

序言
序論
本論
I 理論的美学(第I部)
1 発見論(第1章)
 A 認識の美一般について
 B 特殊論
  a 美的主体の性格
  b 美的豊かさ
  c 美的大きさ
  d 美的真理

第二巻
序言
  e 美的光
  f 美的説得性