読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2020-01-01から1年間の記事一覧

エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学(三) 第三巻 認識の現象学(上)』(原書 1929, 岩波文庫 木田元,村岡晋一訳 1991) 分けすぎてはいけない

ドゥルーズを論じて千葉雅也は「動きすぎてはいけない」といった。カッシーラーの肝はおそらく「分けすぎてはいけない」というところにある。 現象学は現象学であるかぎり必然的に意味と志向性の領野にとどまるわけであろうが、その現象学が、意味に無縁なも…

【風呂場でガタリ『機械状無意識』を読む】01.抽象機械とブラックホール 主体-客体、集合-部分集合の対に属さず作用するもの

ガタリがつくりだす概念の数々は各章の見出しを見渡してみるだけでも変わっていて、不思議な世界像を見せてくれる。私として存在しているもののなかに「ブラックホール」があるなんて思いもよらなかった。しかし、なにものかをを取り込んだまま観測不能の状…

【中井正一を読む】02. 木下長宏『[増補] 中井正一 新しい「美学」の試み』(平凡社ライブラリー 2002)美を足掛かりにした現実の濁流への抵抗

抵抗者という視点から中井正一を語った一冊。理論的な骨格を描き出した「委員会の論理」(1936)とそれを広範に向けて拡張展開した「美学入門」(1951)を中心に中井の弁証法的唯物論を核に据えた論考を読み解いている。 中井正一が『美学入門』のなかで展開…

エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学(二) 第二巻 神話的思考』(原書 1925, 岩波文庫 木田元訳 1991) 言語と意識の発生にせまる傑作

頭がいいのはいいなと単純に思わせてくれるすがすがしいまでに明晰な哲学書。日本ではカッシーラーは入門書とかもあまりなくて、人気が出ていないのが残念だ。 人間は、おのれがつくりだす器具や人工物に即してはじめて、おのれの身体の性質や構造を理解する…

【風呂場でガタリ『機械状無意識』を読む】00.経緯 2020年、年末にハードカバーを風呂場に持ち込む

風呂場の外ではカッシーラーの『シンボル形式の哲学』と中井正一全集を読んでいる2020年の年末、おおつもごりへむかう日々。 できることならカッシーラーの既刊文庫本(岩波文庫の『人間』、講談社学術文庫の『国家の神話』)で風呂場で読書も整えたいと…

エルンスト・カッシーラー『シンボル形式の哲学』(一)(原書 1923, 岩波文庫 生松敬三、木田元訳 1989) 20世紀コスモポリタンの知性の威力

ハイデッガーは田舎者の知的な土着念力、カッシーラーやジンメルはコスモポリタンの知的揚力といった印象を受ける。20世紀は良くも悪くも田舎者のほうが力があった。容易な着地点など認めない天使的なものの知性はパワーバランスでは負けていた。21世紀…

【中井正一を読む】01. 長田弘編『中井正一評論集』(岩波文庫 1995)政治経済の歴史とともに語られる美学の歴史

2020年現在、中井正一に触れるには一番スタンダードな一冊。詩人の長田弘が編纂しているところに個人的には興味があった。「どんな関係性?」という興味。先に解説を読んでも長田弘は自分のことは語っていないので疑問は残ったまま。あきらめてはじめから順…

【言語練習 横向き詩片】かたかた

かたよりがあってものがあった かたむきがあってものがそれたかたかた、かたかた、おとがする かたかた、かたかた、おとをきく かたかた、かたかた、おとをいう かたかた、かたかた、おとがわく かたかた、かたかた、おとずれだ

年末年始おこもり準備

この年末年始は基本的にどこにもいかないつもり。これから冷蔵庫をぱんぱんにしておこもりの予定。※28日は一応勤務予定。正月休みはカレンダー通りで3日までの短めの年末年始。依頼者あっての受注者なので、やりたいことがある人の要求に合わせて仕事をさせ…

頼住光子『道元の思想  大乗仏教の真髄を読み解く』(NHKブックス 2011)一切衆生悉有仏性というのに修行が必要なのはなぜか?

修行というのは固着しないほうがよいものを固着させないように揉みほぐすようにする日々の運動、「全体世界」としての仏の場を開示しつづける終りない営みであるということを説いているのが本書の肝ではないかと思う。 道元は「悉有仏性」を「悉有は仏性であ…

相馬御風『大愚良寛』(1918, 考古堂 渡辺秀英校注 1974)良寛愛あふれる評伝

良寛のはじめての全集が出たのが1918年(大正7年)であるから、まだまとまった資料がない時期に、良寛の史跡を訪ね、ゆかりの地に伝わる逸話を地元の人々から直接聞き取り、良寛の遺墨に出会いながら、人々に愛された良寛の生涯をつづる。明治期から昭和期に…

『五山文学集』(新日本古典文学大系48 入矢義高校注 1990)鎌倉室町期の日本の漢詩

古典注入。 漢詩が足りていないとおもい、図書館検索して岩波の新日本古典文学大系『五山文学集』を手に取る。読み下し文と脚注で鑑賞。鎌倉から室町期の臨済系の頓悟した禅僧たちの詩があつめられているのだが、詩には悟りの輝きや清浄や大安心などは、うま…

ジョルジュ・カンギレム『生命の認識』(原書 1965, 法政大学出版局 杉山吉弘訳 2002) 「規範形成力」を根幹に据えたしなやかな生気論

カンギレムはフーコーの先生で、バシュラールやアランの生徒、同級生にはサルトルがいた。科学哲学、医学、生物学の深い学識から人間的生命について論じた業績はフランスの知識層に大きな影響を与えている。本書の後に私が手に取った『心と脳』(ポ-ル・リ…

松岡正剛『にほんとニッポン 読みとばし日本文化譜』(工作舎 2014) 「山と海が常世であるならば、その間にある野は無常の世であった」、日本。

松岡正剛の既刊書籍と「千夜千冊」サイトからの日本しばり引用リミックス。一般的な日本史、日本論では出会わないことばにつぎつぎ出会える一冊。出し惜しみなし。いいとこ、つまみ食い。 阿弥号は、もともと時宗の徒すなわち時衆であることを示す名号(みょ…

窪田般彌 編『世界詩人全集 20 現代詩集I フランス』(新潮社 1969)「みんなちがって、みんないい」といっていいかもしれない良質なアンソロジー

20世紀フランス、アンドレ・ブルトンのまわりで活動していた13人の詩人のアンソロジー。読むきっかけはピエール・ルヴェルディの詩を佐々木洋以外のチョイスと訳で読んでみたかったため。選択肢で出てきたのが本書で、窪田般彌編訳のルヴェルディ。佐々…

唐木順三『良寛』(筑摩書房 1971, ちくま文庫 1985)天真爛漫と屈折の同居。漢詩の読み解きを中心に描かれる良寛像

良寛は道元にはじまる曹洞宗の禅僧で、師の十世大忍国仙和尚から印可を受けているので、悟りを開いていることになっているはずなのだが、実際のところ、放浪隠遁の日々を送っているその姿は、パトロンから見ても本人的にも失敗した僧と位置付けるのが正しい…

『間の本 イメージの午後 対談:レオ・レオーニ&松岡正剛』(工作舎 1980)「未知の記憶」と「宇宙的礼節」を呼び寄せる輝かしい対談の記録

The Book of MA 『平行植物』の日本語版刊行を機縁に、発行元の工作舎の編集長である若き松岡正剛(当時36歳)とレオ・レオーニ(当時70歳)の間で執り行われた鮮烈な対談の記録。松岡正剛がレオ・レオーニから貴重な言葉を引き出そうと全力でもてなし、…

『ピエール・ルヴェルディ詩集』(佐々木洋 編訳 七月堂 2010, 2020 ) シュルレアリスト達に最も偉大な詩人と評価される「誇りの乾いた黒い傷口」のような詩人の詩

冷えた痛みがゆっくり吹きぬけていくような詩の印象。 なにかしら耐えつつ動かなくてはならないようなときのこころの同伴者としてルヴェルディの詩は適している。べつに助けてくれるということはないのだが、ルヴェルディはルヴェルディで詩のなかでしっかり…

藤田治彦『もっと知りたい ウィリアム・モリスとアーツ&クラフツ』(東京美術 2009) ブルジョア出身で贅沢品作成に才能のある芸術家が取り組んだ社会主義への夢

ウィリアム・モリスは世界を美しくしようとした。美しさへの才能が開花したのは著述の世界と、刺繍や染色、カーペット、カーテン、壁紙、タペストリーなどのテキスタイル芸術。 目指すのは争いも苦痛も失敗も失望も挫折もない、人々の趣味道楽だけでうまく回…

青山拓央『分析哲学講義』(ちくま新書 2012) 知的挑発を埋め込んだ分析哲学入門書

フレーゲとラッセルの論理学研究からはじまり、クワイン、ウィトゲンシュタインなどの業績を経て、最近議論されることの多い心身問題、心脳問題、クオリアに関わる論点まで、入門書と言いながら、各講義で各トピックの概略図を示したあとに、読者に向けて自…

井上宏生『<ビジュアル選書> 一遍 遊行に生きた漂泊の僧 熊野・鎌倉・京都』(新人物往来社 2010)決定往生の安心を説き与えつづけた遊行の僧

唐木順三が著書『無常』において高く評価していた一遍が気になり、入門書を手に取る。いずれも「捨てる」ことを説いた鎌倉新仏教の開祖のうち、寺を持たず、捨てようとする心も捨てるにいたったという一遍が、捨てるということにおいてはもっとも徹底してい…

マックス・エルンスト『百頭女』(原書 1929, 巖谷國士訳 1974, 河出文庫 1996)切り貼りから生まれる切断と融合、新世界創造の痛みを伴ったエネルギー

マックス・エルンストのコラージュ・ロマン第一弾『百頭女』。複数の重力場、複数の光源、複数のドレスコード、複数の遠近法、複数の世界が圧縮混在する147葉のコラージュ作品とシュルレアリスム的キャプションから成る出口なしの幻想譚。二作目の『カル…

マックス・エルンスト『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』(原書 1930, 巖谷國士訳 1977, 河出文庫 1996)どこか高貴さを感じさせるシュルレアリスム的エログロナンセンスのテキストとイラスト

「たいていの本はうしろから読むのがよい」というのは、カフカを語った時のピアニスト高橋悠治のことば。関心はあるのに、あまり身にはいってこない作品に出会ったときに、たまに私が実践してみる本の読み方。マックス・エルンストのコラージュ・ロマン『カ…

ペル・ジムフェレール『<現代美術の巨匠> MAX ERNST マックス・エルンスト』(原書 1983, 美術出版社 椋田直子訳 1990) 多くの技法と作風を持つシュルレアリスムの代表的画家

先日、マックス・エルンストのコラージュ・ロマン三部作の第二作『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』を読んだものの、コラージュ・ロマンというものに対する理解があまりなかったものだから、本業の絵画作品に触れてみることにした。コラージュ・…

山内志朗『ライプニッツ なぜ私は世界にひとりしかいないのか』(NHK出版 2003) 問いつつ在る<私>という人間の存在

『普遍論争』でもそうであったが、山内志朗の哲学の解説書は私的な表出が多くて、学問的に正統かどうかというところで考えると、すこし心配になったりもする。一般的なイメージとは少し違った対象が出てくるので、自分自身でもっと確認してみなくてはならな…

『別冊太陽 気ままに絵のみち 熊谷守一』(平凡社 2005)不思議なあたたかさをもつ絵画の世界

クマガイモリカズ、明治十三 1880 ─ 昭和五十二 1977。「海の幸」の明治の日本洋画家である青木繁の二歳年長で、東京美術学校では同級で親友でもあったが、熊谷守一の方は戦後の作家という印象が強い。全168ページに多数の図版が収録されているが、その多…

唐木順三『無常』(筑摩叢書 1965 ちくま学芸文庫 1998)日本的詩の世界の探究

赤子の世界、無垢なる世界は、美しいが恐ろしい。穢れ曇ったものが触れると、穢れや曇りが際立ってしまう。そして、在家の世界で赤子のままでずっといられる万人向けの方法など探してみても、どうにもなさそうなので、せめて先人の行為の跡に触れようと、と…

長田弘『誰も気づかなかった』(みすず書房 2020)厳しい孤独と存在の確かさが文字記号に充填されているという人間界の出来事

全詩集未収録の六篇。 いつだってすっと入り込まれてしまっているが、こちらは気分的にそっとお茶を出すくらいのことしかできない長田弘の詩。没後5年でも、新しい本が届きました。昼間はお茶で、夜はお酒で、じっくり坐って、何度か読ませていただいている…

【言語練習 横向き詩片】ひる、よる

ひかりあるうちはからだをたててすいちょくにすいちょくにきぶんをととのえるんだよ るーむらいとをけしてねるまではけんざいかしているかいろのうごきをかんそくしてるひる よる ひる よるひよるる ひよるる かぜはながれて わたしがながれるひよるる ひよ…

鈴木信太郎訳で読むポール・ヴァレリーの韻文詩(筑摩書房『ヴァレリー全集1 詩集』1967)闇との合一と光との合一とそのあいだでの彷徨

鈴木信太郎訳のヴァレリーの詩は岩波文庫をはじめとしていくつかの形態で読むことが可能である。私が読んだのは岩波文庫、筑摩世界文学大系56と筑摩書房ヴァレリー全集1の3つ。そのなかでは筑摩書房ヴァレリー全集の文字組みがいちばん贅沢で、ヴァレリ…