読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

日本の古典

高橋陸郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社 2005)

古事記を核に論じた日本の神話と詩の発生に関するエッセイ「神話の構造のためのエセー」(現代詩手帖 1979.11)と0年代に物された連作詩篇「語らざる者をして語らしめよ」のカップリングの一冊。矮小でありながら超越し、超越していながらきわめて矮小な日本…

木下長宏『美を生きるための26章 ―芸術思想史の試み―』(みすず書房 2009)

2005年5月から2024年の現在に至るまで横浜でつづいている勉強会「土曜の午後のABC」の最初期の芸術全般を扱った講義をまとめて一冊にしたもの。上下二段組で本篇全437ページとボリュームは相当なものだが、内容的には平易な言葉でそれぞれの…

松岡正剛『うたかたの国 日本は歌でできている』(工作舎 2021)

松岡正剛の日本の詩歌に関する文章を、イシス編集学校で学んだ歌人でもある編集者米山拓矢(米山徇矢)がまとめ上げた、濃密な一冊。多くの本から切り取られた断片の集積であるにもかかわらず、古代から現代までの日本の詩歌芸能の推移を追うようににして積…

柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』(原著 1946, 1953 岩波文庫 1979)

苦しみ多い現実を凌いでいけるように、時に情動を解放してこわばりをほぐし、区切りをつけて新たに向き直るようにしてくれる、笑い、泣き、たくらみの様々な様相と効能を説き、近代以降に衰退してしまったそれらの技芸や習俗となっていた振舞いの再興を願い…

柏倉康夫『評伝 梶井基次郎 ―視ること、それはもうなにかなのだ―』(左右社 2010)

マラルメの研究・翻訳で多くの著作を持つ元NHKキャスターで放送大学教授でもあった柏倉康夫が25年の歳月をかけて書き上げた大部の梶井基次郎伝。多彩な人物のライフワークのひとつであろう。こだわりを持っている対象ではあろうが、著者の多才さゆえに…

塚本邦雄『秀吟百趣』(講談社文芸文庫 2014, 毎日新聞社 1978)

塚本邦雄が案内する濃密な近現代の短詩型の世界、短歌と俳句を交互に取り上げ103の作品とその作者を紹介鑑賞している。昭和51年から52年にかけて2年間にわたって週刊の「サンデー毎日」に連載していた原稿がベース。詩歌アンソロジー編纂に長けた博…

橋本不美男訳校注「俊頼髄脳」(小学館『新編日本古典文学全集87 歌論集』2002)

「俊頼髄脳」は源俊頼(1055-1129)が時の関白藤原忠実の依頼で、のちに鳥羽上皇に入内し皇后康子となる娘勲子のために著した歌論書。成立は1113年ころ。歌論集としてはかなり初期のもの。 社交のツールとして頻繁に使われていた和歌についての素養を身につけ…

『マチネ・ポエティク詩集』(水声社 2014)

マチネ・ポエティクとは、太平洋戦争中の1942年に、日本語による定型押韻詩を試みるためにはじまった文学運動。詩の実作者としては福永武彦、加藤周一、原條あき子、中西哲吉、白井健三郎、枝野和夫、中村真一郎が名を連ねている。後に散文の各分野にお…

コレクション日本歌人選024 青木太朗『忠岑と躬恒』(笠間書院 2012)

古今和歌集編者のうち二人、壬生忠岑と凡河内躬恒のアンソロジー。凡河内躬恒は紀貫之との交流も深く屏風歌の需要が多くあった時代の専門歌人ともいえる人物であるのに対し、壬生忠岑は紀友則とともに少し上の世代で菅原道真編纂の『新撰万葉集』の主要歌人…

塚本邦雄『王朝百首』(講談社文芸文庫 2009 文化出版局 1974)

塚本邦雄の定家撰百人一首嫌いはすさまじく、本書以外にも『新撰 小倉百人一首』があるし、他書でも事あるごとに定家の批評眼について疑問を投げかけずにはいられないようだ。伝統文化として定着してしまった観のある小倉百人一首にそれほど目くじら立てても…

田中喜美春+田中恭子『貫之集全釈』(風間書房 私家集全釈叢書20 1997)

紀貫之の私家集の全注釈本。基本的には本文(現代的表記の漢字かな交じり文に変換したもの)・本文異同の検討・現代語訳・語釈による四段構成で、追加で補説参考の考察を付加している。全般的に縁語や掛詞や願掛けを主体とした歌の呪術的機能への配慮が目立…

堀江敏幸訳の『土左日記』(河出書房新社 池澤夏樹個人編集 日本文学全集03 2016)

ひらがな主体の『土左日記』が当時書かれた状態の姿に限りなく忠実に現代語に移した画期的な翻訳。少なく見積もっても傑作といえるだろう。 おとこがかんじをもちいてしるすのをつねとする日記というものを、わたしはいま、あえておんなのもじで、つまりかな…

藤岡忠美『紀貫之』(講談社学術文庫 2005, 集英社 王朝の歌人シリーズ 1985)

紀貫之はいわずと知れた『古今和歌集』の編者で『土佐日記』の作者。かな文学創生期の大人物であるが、公的な役職地位は低く(といっても貴族階級に属し、支配階級との交流もあるのだが)、伝記的な資料はかなり限られている。人生の再現するのに確実な記録…

塚本邦雄『珠玉百歌仙』(講談社文芸文庫 2015, 毎日新聞社 1979)

人生は短く芸術は長いとはよく耳にする言葉だが、芸術は非情だ。誰にでも開かれているようでいても、誰もが可能で誰もが到達できる、というわけではない。時代によって、個々の鑑賞者の資質によって、選ばれ称賛される作品に違いは出てくるであろうが、その…

高橋源一郎訳の『方丈記』

河出書房新社から出ている池澤夏樹個人編集の日本文学全集では古典作品を現代の小説家がかなり自由に翻訳している。そのなかで『方丈記』を高橋源一郎が翻訳しているということなので、読んでみることにした。いったんは図書館の書棚から手に取ってみて、表…

高橋睦郎『深きより 二十七の聲』(思潮社 2020)

西欧の詩歌が輸入される以前の日本の旧体の詩歌がいかなるものか、またいかなる人たちの手になるものか、降霊術の体裁を借りた故人の語りを詩として提示した後に、高橋睦郎による詩人の評釈が加えられ、日本の詩歌の頂きを過去から現代へ向けて、ほつりほつ…

三木紀人『鴨長明』(講談社学術文庫 1995, 新典社 1984)

広範な資料を読み解き、細部を形成している言葉の選択から人物の考えや動向をリアルに特定し、資料に残されていないものに関しては想像力をもって踏み込んだ人物像を描きあげている、出色の鴨長明伝。比較的硬質の文体での記述でありながら、学術的な感触よ…

木船重昭『久安百首全釈』(笠間書院 1997)

久安百首は崇徳院が二度目に召した百首歌で、第六勅撰集『詞花和歌集』(1151)の資料として召されたと考えられている。ただ詠進歌が出揃ったのは久安6年(1150)であり、『詞花和歌集』の選者藤原顕輔にとっては検討期間が短くまた『詞花和歌集』の選歌の方針…

コレクション日本歌人選 049 小林一彦『鴨長明と寂蓮』(笠間書院 2012)

鴨長明と寂蓮。ネームバリューで『方丈記』の鴨長明が優り、歌人としての優劣では寂蓮が圧倒している。本書は著者小林一彦の専門が鴨長明であることもあって、鴨長明の歌28首、寂蓮の歌22首という内訳となっているが、収録歌と収録歌鑑賞の方向性から歌…

馬場あき子+松田修『『方丈記』を読む』(講談社学術文庫 1987, エッソ・スタンダード株式会社広報部 1979)

鴨長明が残した散文作品と和歌と同時代の「家長日記」などを語りながら、鴨長明の人間像についてざっくばらんに語り合った対談録。長明の非徹底的な側面を比較的冷たくあしらうように語る日本文学者松田修と、不完全で弱さに徹底してまみれた長明を文学者の…

五味文彦『鴨長明伝』(山川出版社 2013)

歴史学者が鴨長明の三作品『無名抄』『方丈記』『発心集』と残された和歌、そして関連作品・関連資料を綿密に読み込んだうえで提示した信憑性の高い鴨長明の伝記作品。散文三作品が書かれた順番やおおよその時期を確定し、また鴨長明の生年と残されたエピソ…

鈴木貞美『鴨長明 ――自由のこころ』(ちくま新書 2016)

最新の研究を参照しながら新たな鴨長明像を提示しようとした野心的な著作。新書であるにもかかわらず研究書あるいは批判的な考察の多い批評といった印象が強く、鴨長明をある程度読んでいない人にとってはとっつきにくい作品であると思う。少なくとも鴨長明…

水木しげる『マンガ古典文学 方丈記』(小学館 2013, 講談社水木しげる漫画大全集092 2018)

水木しげる91歳での作品。画力も、構成も、調査も、どこにも衰えの見えないところに唖然とさせられる。 混迷を深める21世紀の世界情勢と、東日本大震災の痛みが生々しく残るなか書き下ろされた作品で、平安末期から鎌倉初期にかけての激動の時代を生き、…

久保田淳訳注 鴨長明『無名抄 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫 2013)

思い通りに出世もできず、歌人としても突出できず、老いをむかえて方丈庵に住むようになってからこつこつ散文を書きはじめた鴨長明のことが最近気になり出した。 歌論書『無名抄』は、角川ソフィア文庫で出ているのをブックオフで見かけたということもあって…

著・訳:古田亮、著:岡倉覚三『新訳 東洋の理想 岡倉天心の美術思想』(平凡社 2022)

1903年=明治36年にロンドンで出版された『東洋の理想』として知られる天心岡倉覚三の処女作『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』の最新訳に、訳者古田亮による本篇に匹敵する分量の『東洋の理想』研究が付された最…

新潮日本古典集成 山本利達校注『紫式部日記 紫式部集』(新潮社 1980, 2016)

藤原俊成の評に「歌よみの程よりは物書く筆は殊勝なり」とあるように、『源氏物語』の作者としての評判ばかり高く、歌についての評価は全般的に低い紫式部であるが、勅撰集やそのほかのアンソロジーなどで読んでいる際、わたしは何となく紫式部の歌が好きだ…

松長有慶『訳注 声字実相義』(春秋社 2020)

『訳注 即身成仏義』についで刊行された空海訳注シリーズの第4弾。大日如来が現実化したものとして現われ出ている現実世界をかたちづくるものすべては塵すべては文字いう空海の密教思想を説いた『声字実相義』の解釈本で、平易な表現にもかかわらず、古くか…

松長有慶『訳注 即身成仏義』(春秋社 2019)

仏教一般に対して空海の思想の特異な点は、すべてが大日如来の発現であるとしているところで、物質も精神も本質的には違いがないという教えが説かれている。この点に関して本書では特に本論の第六章「生み出すものと生み出されるものの一体性」に詳しい解説…

松長有慶『空海』(岩波新書 2022)

新書で手に入りやすい空海最新入門書。真言宗僧侶で全日本仏教会会長も務めた高僧による、空海の著作をベースにした思想伝授に重きを置いた解説書。近作には、『訳註 秘蔵宝鑰』(春秋社 2018)、『訳注 般若心経秘鍵』(春秋社 2018)、『訳注 即身成仏義』…

見田宗介『宮沢賢治 ― 存在の祭りの中へ』(岩波書店 20世紀思想家文庫12 1984, 岩波現代文庫 2001)

本当の修羅は修羅でない者にむかってことばを投げつけずにはいられないものなのだろう。 だから、多作が可能であり、際限のない推敲が可能となるのだろう。 50歳を過ぎてようやく納得できたのは、私自身は修羅ではないということ。 その差を確認するための…