読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ポール・ヴァレリーの散文詩(筑摩書房『ヴァレリー全集1 詩集』1967)カイエの思索と韻文詩の間のプロムナードあるいは湧水公園

めずらしいヴァレリーの散文詩。筑摩書房『ヴァレリー全集1』の400~509ページまで14の作品群が収められ、鈴木信太郎のほか、佐藤正彰、松室三郎、清水徹、菅野昭正が訳者として名を連ねている。注釈を参照しながら繰り返し読んでいかないとなかなか作品の…

井澤義雄訳『ヴァレリイ詩集』(彌生書房 世界の詩17 1964)日本の文語調韻文というものを強く意識してなされた訳業

訳詩は訳者によって印象が異なってくるので、関心のある詩人については複数の訳者の訳業を比べてみたくなる。とくに原語で直接味読できない詩人に関しては、そうやって理解の幅と深さを拡張していくほかはない。 ヴァレリーの詩の翻訳と言えば岩波文庫でも読…

西垣通『生命と機械をつなぐ知 基礎情報学入門』(高陵社書店 2012)ネオ・サイバネティクス論の一分野として著者が提唱する基礎情報学の高校生を想定した初学者向け教科書32講

『基礎情報学 生命から社会へ』(2004)『続 基礎情報学 「生命的組織」のために』(2008)と展開してきた基礎情報学のエッセンスを提唱者本人が可能なかぎりわかりやすくコンパクトにまとめあげた一冊。図版の多用や本文中の具体例あるいは関連コラムで親しみや…

門屋秀一『美術で綴るキリスト教と仏教 有の西欧と無の日本』(晃洋書房 2016)キリスト教の宗教画と日本の禅画を比較しながら最終的には西田幾多郎の哲学の核心にせまろうとする著作

美術の棚にあったけれど、著者自身があとがきで書いているように宗教学の本。出版社のサイトにもジャンルは哲学・宗教学と書いてあったので、美術の歴史や技巧や洋の東西の美術的な差異などについての記述を期待していると裏切られる。宗教画や禅画の図版は…

シェリー・ケーガン『「死」とはなにか  イェール大学で23年連続の人気講義 日本縮約版』(原書 2012, 文響社 柴田裕之訳 2018 )唯物論者の死生観を再確認し突き固めるのに適した一冊

NHKの白熱教室に出てきそうな大学講師の講義録。マイケル・サンデルの講義録と言われてもそれほど違和感はない。今世紀初頭に流行した一般的なスタイルであるのだろうか。寛容・非寛容の判断にいたる前段階で、厳密な吟味を経ない共存・併存が可能であるよう…

【言語練習 横向き詩片】ふぬけ、らいふ

ふぬけでこしぬけでひょろひょろとしたからだをとおるせぼねからぬけおちてかたちをとったはんしゃてきなかげりはむとうもまとい けいさんじょうかくじつなむきのせかいにかいきするのしゅうしふ ふぬけ、らいふ ぬけらい ふかい ふあい ふどう ふ ふ ふ し…

宮下規久朗『モチーフで読む美術史』(ちくま文庫 2013) とりあわせにも著者の魂がこもる一冊。たとえば蝶はジェラール「クピドとプシュケ」応挙「百蝶図」コールテ「セイヨウカリンと蝶」

見開き2ページのコラムにカラー図版2ページの体裁で、66の絵画モチーフについて取り上げた美術書。1000円を切った価格で、ほぼすべての図版がカラーというのはとても贅沢。コラムには絵画モチーフについての基本的な情報と、モチーフにまつわる雑学…

【ジンメルの社会学を読む三連休】03.寝落ちで連休終了 大作1件読了も始まり感のほうが大きい

18:30、『社会学』下巻読了後、食料品買い出し、夕食、晩酌。『文化論』読みながら21:00くらいに寝落ち。4:30くらいに目が覚める。予定の90%くらいの進捗だが、なんとなく満足しているような幸福感とともに目覚める。めずらしい。自己満足…

【ジンメルの社会学を読む三連休】02.越境の能力者、ゲオルク・ジンメル

論文とエッセイ、科学と芸術、学問と商業文芸。社会学者としてのゲオルク・ジンメルの本業は私が提示したカップリングの前者、著述家としての本質は後者にあるのかなと考える。位置づけがしづらい人物である分、学問的評価が若干厳しめに推移しているような…

【ジンメルの社会学を読む三連休】01.第一印象 生気論つながりは関係なく、ジンメルはおだやかなドゥルーズ=ガタリのような感じ

ゲオルク・ジンメルもドゥルーズ=ガタリもちゃんと読んでいるわけではないので一読者の勝手な印象でしかないのだが、ジンメルはおだやかなドゥルーズ=ガタリ(且つガタリ弱め)のような感じがしていて、咀嚼するのに大変なところはあるものの、いろいろお…

【ジンメルの社会学を読む三連休】00.準備 読みきれないかもしれないくらいの分量として五冊を用意

三日連続の休みなので、社会学をまとめて読もうかと・・・ 二クラス・ルーマンも候補にあったけれど、資料が集まらず、ゲオルク・ジンメルに決定。 1.『社会的分化論 社会学的・心理学的研究』(1890) 石川晃弘, 鈴木春男 訳 (中央公論社 世界の名著 47 196…

マルティン・ハイデッガー『物への問い カントの先験的原則論のために』(原書 1935-36, 1962 理想社ハイデッガー選集27 近藤功・木場深定 訳 1979) 経験の対象としての物

思惟するものとしての私と対象としての物との「間」というのがハイデッガーのほかの著作でいうところの「存在」であるというような印象が残った。 カントは、彼の著作の終わりの部分(A737, B765)で純粋悟性の原則について次のように述べている。《純粋悟性…

【言語練習 横向き詩片】もどかしさりりしくも

もろもろできないがわにもってみつもり どろのなかでもすすめるようさきまわり からみつくざっそうにもいのちはあるし しかばねにあえばとむらうじかんもさく さくそうするものにかこまれこのさきも も ど か し さ り り し く も ※71日前のもの 2020.09あ…

山内志朗『普遍論争 近代の源流としての』(哲学書房 1992 平凡社ライブラリー 2008)検証できないものに向かう心意気

中世神学の普遍論争についての導入書。実在論者の肩を持とうとする著者が「形而上学的普遍」の実在性を何とか示したいといいながら、あまりうまくいっているようには思えないところが、かえって誠実で好感の持てる一冊。アウグスティヌスやアリストテレスか…

山内得立『随眠の哲学』(岩波書店 1993, オンデマンド版 2014)レンマ学の始祖、最後の著作。排中律の超克を志向する。

ずいめんのてつがく、随眠とは煩悩のこと。 拙著『ロゴスとレンマ』に於いて展開したように、東洋的無は決してロゴスの立場に立つものではない。それはロゴス的に肯定に対する否定ではなく、肯定を否定するとともに、否定を否定するものであった。それは肯定…

鎌田茂雄『華厳の思想』( 講談社 1982, 講談社学術文庫 1988)正統が示す華厳思想の守備範囲

現代的な東洋思想に対する期待に対して、東洋哲学正統からの一般的見解として、大乗仏教の守備範囲を明示してくれるありがたい一冊。入門書とはいえ、学問的境界に対する感度は極めて敏感であると感じた。基本的に著者鎌田茂雄は科学との容易な連合には否定…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】通読後のまとめ 00(10/10)~28(11/15)

小分けに読んで、部分的な感想を書きながらの読書だったので、一気読みよりは内容が頭に残っているような気がする。講義録だったので、日々の区切りもつけやすかった。 【投稿一覧】10/10 02:14 00. 準備 大きな作品は風呂場で読むと意外と読み通せる 10/10 …

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】28. 最後は存在に着地する ハイデッガー的永遠回帰で回帰するものは存在のかそけさ

常に存在する主体の円環的構造とそこに息づいている言葉、霊息。計算し出力する複数の身体と環世界の交感。渦巻く生存圏。 力への意志としての存在の投企 存在と存在者の区別と人間の自然[本性] 空虚と豊饒としての存在 およそいかなる言葉も言葉であるかぎ…

マルティン・ハイデッガー『カントと形而上学の問題』(原書 1925-26, 1929, 1951 理想社ハイデッガー選集19 木場深定 訳 1967) 人間の本質的有限性をめぐっての考察

『存在と時間』で論じられる計画であった時間性の問題について扱った講義録。カッシーラーによってカントを自分の考えに引きよせすぎと批判されて、後にその批判を受け入れているという一冊。逆にハイデッガーの方向性というものはよく出ているのかもしれな…

ジャック・デリダ『痛み、泉 ― ヴァレリーの源泉』(1971 ヴァレリー生誕百周年記念講演 佐々木明訳 )ヴァレリーとフロイト、ニーチェの親近性

ヴァレリーのカイエの読解からフロイト、ニーチェとの親近性を説く論考。そして自己聴解という点においてヴァレリーとデリダ自身の親近性をも示す論考となっている。 源泉が何ものかとなった――これこそが不可解なことだ――とき、起源のそれ自身に対するこの遅…

ウンベルト・エーコ 編著『醜の歴史』(原書 2007, 川野美也子訳 東洋書林 2009)醜は美よりも多様で複雑で個性的で且つ身近な現実

言葉にするとはしたないことになってしまうけれども、興奮状態でいたいというのは近代生活においては基本的な性向となっているに違いない。倦怠でさえ興奮の対象としてボードレールを一つの頂点としてさまざまな詩人たちによって悪魔的に描出されている。 醜…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】27. 表象 存在の本質としての対象性、表象されていること

存在の本質が、表象であり思惟であるということをストレートに論じているハイデッガーの論考にしては珍しい部分。ニーチェの力への意志が出てくる前提としての哲学の歩みをプラトンのイデア―デカルトのコギト―カントのカテゴリーと辿っている。 形而上学の終…

アントナン・アルトー『神の裁きと訣別するため』( 原書1948 河出文庫 2006 )「器官なき身体」を「腑抜け」が読む

アルトー最晩年のラジオ劇『神の裁きと訣別するため』関連の文章(宇野邦一訳)と『ヴァン・ゴッホ 社会による自殺者』(鈴木創士訳)の最新訳カップリング。 心身の不調と経済的苦境によって死にまで追い詰められた二人の人物。近い親族にいたとしたらやは…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】26. 自由 近世的主体の自由を誤謬可能性から定義づける

ハイデッガーがデカルトの省察から自由を論じている部分が興味深い。 デカルトとプロタゴラスの形而上学的な根本的境涯 デカルトに対するニーチェの態度表明 デカルトとニーチェの根本的境涯の内的連関 人間の本質規定と真理の本質 誤りうるということは欠陥…

鎌田茂雄 編著『和訳 華厳経』( 東京美術 1995 )中沢新一がレンマ学のベースに据えたいと考えている『華厳経』原典を少しかじる

華厳経の総ルビ付き抄訳。原典の雰囲気を現代語訳で感じ取れる一冊。しっかり読みたい向きには物足りないかも。 【解説より】 『華厳経』の性起という、あらゆるものが仏性に光り照らされているという考え方は、中国人の古来からの自然観である万物一体観と…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】25. 機械的経済学 地球支配が可能だと思うことができた時代と人の発想

永遠回帰を肯定し、目標なしに生を肯定することを価値とする超人が、いつの間にか地球の支配者としての地位につけさせられている。「ヨーロッパのニヒリズム」は1940年に行われた講義。さすがに現代では地球支配ということを表立って表明する人は少数派…

中沢新一『レンマ学』(講談社 2019)とりあえず、この先五年の展開が愉しみ

中沢新一、七〇歳のレンマ学言挙げ。あと十年ぐらいは裾野を拡げる活動と頂を磨き上げる活動に注力していただきたい。難しそうな道なので陰ながら応援!!! 横道に逸れたら、それも中沢新一。私とは明瞭に違った人生を生きている稀有な人物。変わった人なの…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】24. 地球支配 時にでるハイデッガーの地がうかがえるような言葉

超人が地球を支配するという言葉だけピックアップしてくると、どうしても優生思想がちらつくが、奴隷を必要とするような主人がニーチェの超人というわけではないだろう。 ニーチェの歴史解釈における主体性 形而上学についてのニーチェの《道徳的》解釈 闘争…

岡崎乾二郎『近代芸術の解析 抽象の力』(亜紀書房 2018)技術で見えてきたものによって変わる人間の認識と作品制作。マティス以後の抽象絵画を中心に

素朴な画家と勝手に思い込んでいた熊谷守一が、同業者からは一目置かれる理論派で当時の最先端美術にも通じ、なおかつ海外の代表的な作家の作品にも通底し且つ質において匹敵するする作品を晩年まで作成し続けていたという指摘に、目を洗われる思いがした。…

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】23. 計算 価値が存在するのは計算がされるところという指摘

価値の計算が何にもとづいておこなわれているかということについては生成の軸一辺倒なのだけれど、果たしてそこに見落としはないのかという疑問は残る。エロスに対するタナトス、生成に対する消滅への衝動といったものを考慮しなくていいものだろうか。 カテ…