2024-01-01から1年間の記事一覧
19世紀はじめのイタリアの古典的詩人。日本では夏目漱石『虞美人草』、芥川龍之介『侏儒の言葉』、三島由紀夫『春の雪』などに言及されている(本書以外の『断層集』がメイン)。身体の不調もあって悲観主義的な作風ではあるが、同時に不幸を回避しようと…
1960-1961に行われたラカンの第8セミネール。 プラトンの『饗宴』から欲望の諸相と精神分析の現場から導き出された転移の現象に関しての構造を浮き上がらせて見せる上巻と、ポール・クローデルのクーフォンテーヌ三部作の注釈から愛と欲望についてさらに考…
1959-1960に行われたラカンの第7セミネール。ラカンのセミネールは主として弟子筋の分析家を対象に行っている講義で、門外漢としては疎外感を味わうこともままある内容ではあるのだが、この第7セミネールと次年度の第8セミネールは、ギリシャ悲劇、ソクラ…
詩の見本として、詩作の先行者として、読者にも書くことを挑発して誘っているとしか思えない詩篇集。 自身も先行者を真似して続けて、また別の世界を見ようとしていて、それぞれの詩が落ち着くことなく疼いている。 www.shichosha.co.jp 【目次】庭にバラの…
誰もが知っている日本の猫の油彩画を描いた作家、長谷川潾二郎。画壇に背を向け、なおかつ寡作であったがためにか、画集ではなかなかお目にかかれない希少価値の高い画家の作品集。 詩人でもある小柳玲子が夢人館シリーズ全10巻に収めようとした稀有な画家…
クレオールの詩学。 クレオールがどういったものかをよく知らない読者にとってはかなり疎外感が持続するので、調べながら読むか、別の著作を経由するかして、徐々に近づいていったっほうが無難な書物。 同業の文学部教授レベルの聴衆に対しての講演とその質…
20世紀における二つの世界大戦と冷戦期の混迷の只中で詩作を続けた多産のポーランド語詩人チェスワフ・ミウォシュの作品から14人の翻訳者がそれぞれ選び日本語化したことで成立した日本独自の詩選集。辛辣ながらも人に刺激を与え反省と再考を促し今現在…
代表作「シベリア・シリーズ」だけでなく画家の全画業を基本的に暦年順に追って紹介した画家の全貌に迫る一冊。香月泰男が一貫して目指した「日本的油絵」への探究の軌跡を見ることができる。 全57作に及ぶ連作「シベリア・シリーズ」の全体像は間違いなく…
画家村山槐多の軌跡を年代順に作品ごとの解説付きで鑑賞できる綺麗な一冊。発色が良いこともあって槐多の色彩に関する繊細さと描線の確かさと美しさがよく感じ取れるところに良さがある。 教科書などにも掲載されているアニマリズムを標榜した時期の動物的荒…
現今の情報社会に対する代表的な学問的論考についてそれぞれの主張傾向を紹介しマッピングしている、どちらかというと読書案内書に近い内容の一冊。労力少なく俯瞰的視点を持たせてくれるところが良い。 以下に上げるのは、書籍単位で焦点を当てられている主…
リトアニア系ポーランド人の詩人、1980年ノーベル文学賞受賞者、チェスワフ・ミウォシュが戦時下の1943年に地下に潜行していた時期に書かれた詩篇。ナチスドイツ占領下のどん底の状況にあって、平易な言葉を用いて子供に読み聞かせるために書かれた…
読みどころはベルクソンとホワイトヘッドの「持続」概念の違いから「象徴」の働きへと論を進めている入門篇の7-8節。 それから、ホワイトヘッドが語る「神」が正直よくわからないと言っているところは、『過程と実在』の当該箇所を読み返して自分で考えるき…
有機体の哲学を説いたホワイトヘッドの主著。スピノザの哲学を評価しながら決定論的な静止した宇宙観を徹底的に嫌ったホワイトヘッドが、ベルクソンに親近感を持ちつつ動的に生成し続ける宇宙観を展開した書物。「潜勢態」などドゥルーズにも繋がっていって…
香月泰男のライフワークである「シベリア・シリーズ」油彩全57点を、描かれたモチーフの年代順に配置し、それぞれに解説を施した充実の画集。色彩やマチエールから受ける印象に惹かれながらも、何が描かれているのかよくわからないこともある作品の背景と…
1957-1958に行われたラカンの第5セミネール。 幼児期に否応もなく引き受けることになる連鎖するシニフィアンの使用法、自ら望まずその連鎖の一要素となってしまっていることを負債として拒むことが、より一層囚われの身を深めていくという構造を、パロルの…
1956-1957に行われたラカンの第4セミネール。フロイトの残した症例「ハンス少年」の読み解きを中心に、主体と特徴的な対象との関係について考察を行っている。絶対的無力の状態の幼年期の体験が自我と主体の様相を決定していく様子がくりかえし丹念に語られ…
22歳5ヶ月の人生を駆け抜けた異能の芸術家村山槐多の全貌が見える作品集。 図版点数477点、うち絵画作品341点。中学生時代に描いた最初期の作品からその才能は明らかで、人間としての資質の違いにめまいがしてきそうになる。 自分は絵描きであると…
箴言集というものはたまに読み返してみたくなる。自分の現在地を確認したくなるためだろうか。先日はラ・ロシュフコーも読み返していた。本書は今回で三回目くらいの再読か。 バルベー・ドールヴィイは反俗貴族主義の19世紀フランスのデカダン小説家。ボー…
17世紀中国の清代前期、科挙の試験に生涯落第し続けるかたわら『聊斎志異』を書いた蒲松齢に、大学受験や徴兵や敗戦後においての自らの劣等体験を重ね合わせながら、古典を読み、太宰を読み、自ら私小説を書くという趣向の作品。物書きならではの自分自身…
生物や人間と機械を同一視点から扱うことを可能にしたサイバネティクスの歴史をたどる著作。 扱っているのは第二次世界大戦時の軍用制御装置開発から21世紀初頭のテロ発生まで。 ノーバート・ウィナー、グレゴリー・ベイトソン、ティモシー・リアリーなど…
シンボルスカ、ミウォシュと並び立つ20世紀後半のポーランド詩を代表する詩人、ズビグニェフ・ヘルベルトの翻訳詩集。 冷戦期ポーランドの反体制派(反ソ連)の骨太の詩人。 茫然とするようなことどもを平然と受け入れられるよう時間をかけて醸成し、しっか…
三島由紀夫より一つ学年が上なのか、なんてことを思いながら読んだ吉本隆明の詩選集。岩波文庫からも吉本隆明詩集が刊行されて、新しい読者にも届くようになった吉本隆明の詩作品ではあるが、果たして古典になれるかどうか、糸井重里や高橋源一郎など熱烈な…
濃密で匂い立つようなアイルランドの風土を豊饒な言語で描き出しているシェイマス・ヒーニーの詩作品、その第一詩集から第八詩集まで集成した大部の詩集。日本での編集翻訳刊行年に丁度ノーベル文学賞が決まったというのだから、出版に携わった人たちの眼力…
七世紀アイルランドの狂える王スウィーニーの伝説を描いた『スウィーニーの狂気』のアイルランド語テキストをノーベル文学賞詩人シェイマス・ヒーニーが英語に翻訳再編集した物語詩。 キリスト教の高位聖職者のローナンが教会の敷地を新たな教会のために割り…
1995年にノーベル文学賞を受賞したアイルランド出身の英語詩人の晩年の三詩集。 濃密で匂い立つような田園と都市の時空間を、豊かな語彙でしっかりと、だが軽快さをもって描き上げている、落ち着きとユーモアとノスタルジーにあふれた作品群。素朴である…
所有している単行本『鏡・空間・イマージュ』『紙片と眼差とのあいだに』を再読した勢いに乗って著作集に手を出した。 現代的な絵画とテキストをめぐるシニフィアンとイマージュの終わりなき戯れについての論考の数々。 表現されたものの表面の輝きを軽妙に…
ホワイトヘッドの哲学は「有機体の哲学」と言われるとともに「プロセス哲学」とも言われ、この宇宙が生成し変化していく様を捉えて描き出そうとしているものであるようだ。 私は今回ホワイトヘッドを主にドゥルーズとどのような関係にあるのかという関心から…
私生活と経験に絡めながら哲学書を読んで思ったことを書き留めるというスタイルの小説。ブログを書くのに何か参考になるかなと期待を込めて久しぶりに再読したが、哲学書を読む資質、哲学書を語る経験と環境、テキスト引用の分量など、諸々のハードルが目の…
1955-1956に行われたラカンの第3セミネール。シュレーバーの回想録を読み進めながら精神病の特質を神経症との違いから考察していく講義録で、弟子筋の精神分析家に対しての教育的側面が強く表れていて、分析家ではない一般読者には少々近寄りがたい空気も強…
ラカンのセミネール第2巻は『快楽原則の彼岸』をひとつの中軸テキストとして扱っていて、反復と機械という視点から人間を検討しているところが特に面白い。 以下、気になった点のメモ。 ・利己愛が騙すものであり、自我という想像的機能が欺く性質のもので…