読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』(原著 1963, 國分功一郎訳 ちくま学芸文庫 2008)

ジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』には日本語訳が二つあって、本書國分功一郎訳の前には法政大学出版局から1984年に刊行された中島盛夫訳がある。二つの訳書の大きな違いは、訳者によるドゥルーズ哲学への言及で、中島盛夫はあとがきで『カントの批判哲学』自体におけるドゥルーズの姿勢について簡潔に触れるだけでドゥルーズ哲学に深く立ち入ることはない。訳者あとがきは8ページ。一方、ちくま学芸文庫國分功一郎は、本篇144ページの作品に対して51ページの訳者解説を書き、ドゥルーズ哲学における『カントの批判哲学』の独特な位置をドゥルーズ哲学のその後の展開と合わせて詳細に論じている。國分功一郎34歳の時の仕事で、この時はまだ『スピノザの方法』(2011)『暇と退屈の倫理学』(2011)も出版されていない時期で、そのことを考えると、大学の博士課程を退いて、大学講師をはじめながら、翻訳が主だった仕事であったまだ無名に近いころから、國分功一郎のスタイルがある程度固まっていたことが分かる。優れた著述家に共通する特徴、特先行作品を熟読玩味し、自分の考えを練り上げていく様子もよく感じ取れる。中島盛夫訳に難があるわけではないが、若き國分功一郎に出会うために本書であらためてジル・ドゥルーズ『カントの批判哲学』を読むのもよいかと思う。
カントは自分にとっての敵であったというドゥルーズ自身の言葉を中心に置いて、ドゥルーズがカント思想の何を敵とみなし、それを乗り越えるような思想をどのように紡いでいったのかを描き出しながら、その乗り越えの過程のうちにドゥルーズ思想における死角が残っていなかったかどうかまで國分功一郎は検討していく。ひとりの思想家の作品を読むとはどいうことなのかという刺激に満ちた実例を、ドゥルーズの本篇ばかりでなく、まだ無名に近い存在であった若き研究者國分功一郎の訳者解説でも見ることができるのは、とても刺激的だ。ドゥルーズを深く読み込み、ドゥルーズのカント論を訳し解説しながら、ドゥルーズばかりでなくカントへの再読に誘うような力が國分功一郎の訳者解説にはある。

いま、哲学はカントが敷いた枠の中で動いている。その先に進むためには、この枠そのものを解体しなければならない。カントこそは、いまそこにいる「敵」である。
(「訳者解説」の文章より抜粋)

敵も、そして友も、さらには自分自身についても、よく知ることが大事だということに気づかせてくれるのは、読書の功徳であろう。

 

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【目次】
序 論 超越論的方法
第1章 純粋理性批判における諸能力の関係
第2章 実践理性批判における諸能力の関係
第3章 判断力批判における諸能力の関係
結 論 理性の諸目的


【付箋箇所】
17, 35, 40, 49, 55, 56, 59, 66, 70, 79, 87, 114, 116, 138, 150, 151, 171, 180, 183, 184, 185, 203, 210, 214, 216, 223, 225

イマヌエル・カント
1724 - 1804
ジル・ドゥルーズ
1925 - 1995
國分功一郎
1974 - 
中島盛夫
1922 - 1996

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