デューラーの銅版画の3傑作『騎士と死と悪魔』『メランコリアI』『書斎の聖ヒエロニムス』のなかでもひときわ名高い『メランコリアI』についての近年の図像的解釈の集大成的著作に、翻訳者による技術面からの補説を加えて、近代的表現の突端にしてひとつの窮極形にまで至った作品に注ぎ込まれた天才芸術家の感性を浮かび上がらせている。
『メランコリアI』の解釈にあたって参照されるのは、デューラーの素描と木版と銅板の版画が中心で、油彩や水彩はほぼ取り上げられはしていないのだが、画面構成と描画の個々の対象に込められた意味から、中世の揺るぎない視座の下に修められ固定した世界観から近代の主体性を持った世界解釈へと移行したことを決定づけるような表現者であったことを十分に納得させる考察にまとめ上げている。
象徴表現によって解釈が固定されているところの中世的規範を踏まえ、画面の構成要素として多くを導入しながら、多くの図像を固定した解釈の枠組みから無効化しつつ逸脱させることで、新たな解釈を誘発させ、見て考え感じることの新たな局面に誘導しようとしている作家デューラーのの狙いを浮かび上がらせようとしている論考であるようであった。
中世的な魔に引きずられることなく、かといって中世の遺産をすべて捨ててしまうわけでもなく、中世的世界の構成要素と同居しながら決定的に分離し、未知のものに向かうことで生じる思考の逡巡の形態(より明晰な認識へと向かうことを願う主体の形態)が作品《メレンコリアⅠ》には表現されている。聖なるものから離れて、自らの有限性を賭けて思考する危うい状態が「メランコリア」なのである。
550年以上前の近代の最初期において、表現者としてのデューラーは「メランコリア」の不安定さがもたらす毒に倒れることなく見事な表現をつづけた人物であった。人間の限界に接しながら崩折れない凛とした人物像を提示しえた作家であった。
そんなデューラーの決定的に時代を画す表現を『メランコリアI』で描かれた人物の眼に宿る光の強さから本書は読み解いている。
光と闇を巧みに操ると評される画家はかなりの数にのぼるであろうが、近代のはじめに版画の領域で革新的な展開をもたらしたのはデューラーその人であると限定しても間違いではないだろう。同じデューラー作の木版画と比較しても、デューラーの銅版画の世界は、別の世界観の表現となっている。現代にまでつづく表現世界であり世界表象であるのだろう。
中世と近代の境を検討しつつ、デューラーという傑出した表現者について学べるところが本書の魅力であると私は思う。デューラーの数ある作品の中から銅版画の最高傑作の『メランコリアI』に焦点を当て、冗長にならずに絞り込んで論を展開しているところも有効で好感が持てた・
【目次】
有翼のメランコリア
眼と視線
人相学的表現と葉冠と蝙蝠
プットー
無秩序
諸道具と菱面体
時間と数
幾何学のタイプとメランコリーのタイプ
建築物と梯子
彗星と虹、海と陸
解釈の問題―方法論的前置き
伝記上の背景
ネッテスハイムのアグリッパ
マルシオ・フィチーノと『メレンコリア1』の哲学的意味
【付箋箇所】
52, 57, 68, 76, 80, 84, 87, 88, 96, 102, 106, 108, 111-117, 137, 140, 144s
アルブレヒト・デューラー
1471 - 1528
ハルトムート・ベーメ
1944 -
加藤淳夫
1938 -