毛利武彦の名前を知ったのは、たしか有田忠郞の詩集のなかでのこと。本書の巻頭には詩人阿部弘一の詩が寄せられており、詩人との相性が良かったことがうかがわれる。
ちなみに阿部弘一はフランシス・ポンジュのや訳者で、有田忠郎はサン=ジョン・ペルスの訳者。方向性は違っているが、乾いたポエジーを志向しているところは似ているかもしれない。
本書は70歳での武蔵野美術大学退官記念出版と位置付けられる、画業集大成ともいえる作品集。
クレーやルオーの影響が強いことが分かりやすい作品、
ベルナール・ビュッフェやアンドレ・ミノーに感銘を受けていたという頃の(感銘を受けていたもとの作品に理解が足らないがために)関係性を把握しがたいが魅力的な作品、
時代が下っていくにしたがって主題も技巧もより日本的なものに傾きながら、質感としての重厚さ濃厚さをともに深め、ねっとりとしていながら時に鋭利に奔出する事物を鮮やかに描ききる作品など、
見どころはたくさんある。
本書を見た限りでのこの画家の特徴は、絵具の塗りと形体を描き出す描線に対するこだわりにあるように思えた。特に白の表現の厚さと、不純物を含んだ重厚感、そしてその領域を確たるものに組み上げている線の動きと、個物どうしの関係性、バランス感覚。
区切られてあるものどうしが、おのおの個別に存在を主張しながら、個物以上のなにものかを醸し出してしまうことの不思議を、不思議の命をそのままに瞬間写し取ったかのような創作。
私は、作家40歳代の、濁り古びつつ人工的に存在している構築物が画面の主要部分を占める作品に、とりわけ感銘を受ける。
闇と物質の黒と、光と物質の白が織りなす究極の存在世界に、人は、あるいは魂(心)は、いかに存在しつつければよいものかを、ずーっと問いかけているようなのである。
雪にも池にも樹にもベンチにも空気にもなれないとしたら、私は何であるべきか?
見る者の立ち位置を揺るがさせずにはおかない作品の数々が収められている。
カラー図版95点、モノクロ図版80点。
真摯な画家の試みに、しばし向き合うことが可能になる一冊。