読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』(1952,1965)

学者と詩人それぞれからの唐詩紹介。新書だがとても密度が濃い。

吉川幸次郎
杜甫の絶句(江は碧にして鳥は逾よ白く)をめぐって

この短い詩の底には、中国の詩に常に有力な、二つの感情が流れている。ひとつは、さっきのべた推移の感覚である。推移する万物のひとつとして、人間の生命も、刻刻に推移し、老いに近づいて行く。悲哀の詩はそこから生まれる。歓楽の詩もまたそこから生まれる。天地の推移は悠久であるのに反し、人間の生命は有限である。有限の時間の中を推移する生命は、その推移を重々しくせねばならぬ。推移を重々しくする道、それは推移の刻刻を、充実した重量のある時間とすることである。歓楽はその道である。富、栄誉もまた、その道である。
もうひとつは、人間は不完全であるのに対し、自然は完全であるとする感情である。(中略)人間は、自然のうちでも、もっとも能動的な、万物の霊長である以上、秩序と調和とを、自然の本来以上におしすすめ得るはずである。しかし実際は、そうはゆかない。能動的であるだけに、そうはゆかない。秩序と調和の源泉でありその典型である自然。その自然の選手たる地位を与えられながら、秩序と調和を失いがちな人間。両者はかくて疎隔する。(p7-8)

 

三好達治
岑參の山房春事によせて

山川を愛し(或は冒険を愛し)旅を思う、所謂煙霞の癖が一種詩的精神なら、書を読んで古を憶う、所謂好古の史癖もまた、一箇詩的精神の当然領分でなければならない。いずれも遠きを想うのである。生命力ある活溌な精神が、空間の上にも時間の上にも、遠く未知の拡がりを追って、自らを拡充しようと欲するのは、何人にも自然な憧れであろう。(p211)

 充実し拡がりたいこころ。

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吉川幸次郎
1904 - 1980
三好達治
1900 - 1964