読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

金春禅竹(1405-1471)『歌舞髄脳記』ノート 02. 「第二 軍体」( + 世阿弥の「九位」と利用資料について )

妙花風をはじめ『歌舞髄脳記』に現われる「~風」の概念は、世阿弥が『九位』の中で説いた芸の位をあらわすことば。上・ 中・下の三つに分けられ、能にたずさわる者が身につけるための稽古の順は「中初・上中・下後」とすべきとされている。芸道の順位としては一番上に上三花「妙花風・寵深花風・閑花風」、次いで中三位に「正花風・広精風・浅文風」があり、下三位は「強細風・強麁風・麁鉛風」となる。禅竹は『歌舞髄脳記』で曲体ごとに曲目を評価するときにこの「九位」の分類法を使用している。

 

02.「第二 軍体」で取りあげられた曲目とその九位の位と取り合わせられた歌
※歌の作者情報に加え、曲目の作者情報も追加

軍体   
  此姿、皆この心なるべし 
 源実朝:武士(もののふ)の矢並つくろふ籠手の上に霰(あられ)たばしる那須の篠原
   
源三位頼政  寵深花風 抜群体 (作者:世阿弥
  物の中に抜け出でたる姿 
 藤原清輔:年経たる宇治の橋守事問はん幾世に成りぬ 水の源(みなかみ)
  又ほのかなる姿、幽玄にもかなふ 
 壬生忠岑:在明(ありあけ)の難面(つれなく)みえし別(わかれ)より 暁ばかり憂き物はなし
   
越前三位通盛  正花風 存直体 (作者:井阿弥)
  心ざしありて、又直なる道を存する心 
 大納言経信:夕されば門田の稲葉おとづれて葦のまろやに秋風ぞ吹く
   
薩摩守忠度  寵深花風  (作者:世阿弥
  幽玄之姿也 
 元良親王:侘びぬれば今はたおなじ難波なる身を尽くしても逢んとぞ思ふ
 平忠度:行暮(ゆきくれ)て木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし
   
斎藤別当真盛(実盛)  広精風  (作者:世阿弥
  此心、花麗なり 
 橘忠幹(伊勢物語):忘るなよほどは雲井になりぬとも空行(ゆく)月のめぐりあふまで

大夫進(だいふのしん)朝長  広精風 澄海体 (作者:観世元雅?)
  此心、梅のごとし 
 宜秋門院丹後:なにとなく聞けば涙ぞこぼれける苔の袂にかよふ松風

左中将清経  浅文風  (作者:世阿弥
  濃(こま)やかなる姿なり 
 藤原俊成:散らすなよ篠の葉草のかりにても露かかるべき袖のうへかは

「第二 軍体」はここまで。

 

【利用資料について】
紙の書籍:

 岩波書店 日本思想体系24『世阿弥 禅竹』(校注:表章加藤周一)1974
 ※2021年時点では、日本思想大系(芸の思想・道の思想) 1『世阿弥 禅竹』として発行されている(品切れ中)

www.iwanami.co.jp

 

デジタル情報:

国立国会図書館デジタルアーカイブ
能楽古典 禅竹集』(吉田東伍 校註[他] 1915 能楽会発行)

dl.ndl.go.jp


金春禅竹
1405 - 1471
世阿弥
1363 - 1443

 

※雨に濡れた夜の桜。車もほとんど走っていない深夜、街灯に照らされる街路樹の桜は妖艶。
平忠度の「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が沁みて、桜の精がボーっと出てきてもおかしくない心境になる。