妙花風をはじめ『歌舞髄脳記』に現われる「~風」の概念は、世阿弥が『九位』の中で説いた芸の位をあらわすことば。上・ 中・下の三つに分けられ、能にたずさわる者が身につけるための稽古の順は「中初・上中・下後」とすべきとされている。芸道の順位としては一番上に上三花「妙花風・寵深花風・閑花風」、次いで中三位に「正花風・広精風・浅文風」があり、下三位は「強細風・強麁風・麁鉛風」となる。禅竹は『歌舞髄脳記』で曲体ごとに曲目を評価するときにこの「九位」の分類法を使用している。
02.「第二 軍体」で取りあげられた曲目とその九位の位と取り合わせられた歌
※歌の作者情報に加え、曲目の作者情報も追加
軍体
此姿、皆この心なるべし
源実朝:武士(もののふ)の矢並つくろふ籠手の上に霰(あられ)たばしる那須の篠原
源三位頼政 寵深花風 抜群体 (作者:世阿弥)
物の中に抜け出でたる姿
藤原清輔:年経たる宇治の橋守事問はん幾世に成りぬ 水の源(みなかみ)
又ほのかなる姿、幽玄にもかなふ
壬生忠岑:在明(ありあけ)の難面(つれなく)みえし別(わかれ)より 暁ばかり憂き物はなし
越前三位通盛 正花風 存直体 (作者:井阿弥)
心ざしありて、又直なる道を存する心
大納言経信:夕されば門田の稲葉おとづれて葦のまろやに秋風ぞ吹く
薩摩守忠度 寵深花風 (作者:世阿弥)
幽玄之姿也
元良親王:侘びぬれば今はたおなじ難波なる身を尽くしても逢んとぞ思ふ
平忠度:行暮(ゆきくれ)て木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし
斎藤別当真盛(実盛) 広精風 (作者:世阿弥)
此心、花麗なり
橘忠幹(伊勢物語):忘るなよほどは雲井になりぬとも空行(ゆく)月のめぐりあふまで
大夫進(だいふのしん)朝長 広精風 澄海体 (作者:観世元雅?)
此心、梅のごとし
宜秋門院丹後:なにとなく聞けば涙ぞこぼれける苔の袂にかよふ松風
左中将清経 浅文風 (作者:世阿弥)
濃(こま)やかなる姿なり
藤原俊成:散らすなよ篠の葉草のかりにても露かかるべき袖のうへかは
「第二 軍体」はここまで。
【利用資料について】
紙の書籍:
岩波書店 日本思想体系24『世阿弥 禅竹』(校注:表章、加藤周一)1974
※2021年時点では、日本思想大系(芸の思想・道の思想) 1『世阿弥 禅竹』として発行されている(品切れ中)
デジタル情報:
国立国会図書館デジタルアーカイブ
『能楽古典 禅竹集』(吉田東伍 校註[他] 1915 能楽会発行)
※雨に濡れた夜の桜。車もほとんど走っていない深夜、街灯に照らされる街路樹の桜は妖艶。
平忠度の「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」が沁みて、桜の精がボーっと出てきてもおかしくない心境になる。