読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

安藤礼二『列島祝祭論』(作品社 2019)

折口信夫の古代学に導かれ日本の祝祭と芸能の展開を追っていく批評作品。「神憑」を聖なる技術としてきた「異類異形」かつ「異能」の者たちは、里の世俗の秩序とは異なる山の聖なる秩序の下で生き、アナーキーかつ神聖なる怪物あるいは霊力を解放する祝祭を反復させてゆく。時代が下るにしたがって祝祭の技法や儀式は様式化され一部は芸能化されより世俗に近い領域に広まってくる。その最たるものとして観阿弥世阿弥‐禅竹三代にわたる室町期能楽成立時の天才の出現がある。神々の化身たる翁という精霊を擬く申楽とその芸能論にいたりつくまでを、古事記日本書紀あるいは日本霊異記からはじめ、山の仏教での天台本覚思想にいたる思想的醸成をへて、市井で踊る一遍や戴冠するアナーキーとしての後醍醐まで順を追ってたどる、丁寧な作品となっている。

能楽の「翁」を生み、列島の祝祭を成り立たせる根本の原理となった天台本覚思想――森羅万象すべてに霊的な生命が宿るというアニミズム思想の仏教的かつ「神仏習合的」な理論化――は、最澄空海の交わりのなかで胚胎され(その際、まずはじめに主導的な役割を果たしたのは空海である)、最澄最澄の後継者たちが、日常とは隔絶した聖所、非日常の聖なる「山」のなかで育んでいった。
(「天台」p258)

天台の山、比叡山から下りて里での教えを広めることに向かった鎌倉仏教の僧の系列から、芸能を業として生きる下層民と結びつく流れも生まれ、芸能に聖なるものの思想も取り込まれるようになる。それを大成したのが世阿弥であり金春禅竹であるという、明快な視点を提供してくれている。古典作品を多く引用し、それを自身の手で現代語で繰り返すことで不思議なリズム感をもって進行する作品は、多少冗長とも感じられもするが、多くを模倣しながら繰り返すことで革新が生まれるという著者の考えが文体にもあらわれているようで、この作品にはふさわしいもののようにも思えた。

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【付箋箇所】
21, 28, 77, 88, 113, 120, 127, 170, 172, 181, 193, 220, 224, 226, 230, 238, 242, 249, 255, 256, 258, 268, 294, 295, 309, 334, 346

目次:
翁の変容
翁の発生
国栖
小角
修験
空海
天台
一遍
後醍醐
後記 後醍醐から現在へ

安藤礼二
1967 -