読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

西垣通『新 基礎情報学 機械をこえる生命』(NTT出版 2021)

人間をこえる人工知能という、一神教的世界観を引きずったトランス・ヒューマニズム(超人間主義)の思想に根をもつ近未来の世界像に異を唱える西垣通の基礎情報学の3冊目のテキスト。最新の学問動向に反応しながら、ネオ・サイバネティクスのひとつの流派としての基礎情報学が担うべき批判的視座を明らかにしていく。

自律閉鎖系の創発的システムなのか他律開放系の命令準拠的システムなのか、意味を理解し創造するシステムなのか統計的優位性や論理演算結果をデータから析出するシステムなのか、はたまた「ウィーナー・パラダイム」なのか「ノイマンパラダイム」なのか、「サイバネティック・パラダイム」なのか「コンピューティング・パラダイム」なのかという二項間のせめぎ合いが広い学問分野にわたって概観されているなか、著者が軸足を置くのは一貫して前者の立場、生命と機械のあいだにはこえがたい差異が存在するという立場である。人工知能を含む機械は人間の生活環境にさまざまな影響を与えるが、「意味」を理解することも創り出すこともできないとする立場である。

「意味」とは本来、生きていく文脈/状況のなかに埋め込まれた価値のことである。だからこそ、生きものではAIには、記号を論理的に処理できても文脈把握ができず、意味理解が不可能なのだ。要するに、AI時代に生きるためには、感性をみがき、他者の気持ちを直観できる能力が大事なのである。人生への喜怒哀楽への想像力を欠き、契約書のような実用的文章を形式的に手早く論理処理するだけの、コンピュータのような人間が日本列島にあふれたらどうなるのか。
(第6章「データ至上主義からの脱出」 p225-226

感性をみがいたほうがよいのは、なにもAI時代に限ったことではないし、「契約書のような実用的文章を形式的に手早く論理処理する」能力を持つ人はそれでも必要であるので、結論にもってくるにはいささか弱いありふれた主張と思ってしまうのだが、大事なのは結論部分ではなく、生きていくなかで「意味」や「価値」を見出し、それぞれの文脈/状況のなかに埋め込み保守更新していく回路がいかなる層の下にあるかを説いている個々の章句であり、そこでとられるべきAI時代の技術と情報との関わり方であろう。第三次AIブーム下にある現在、落合陽一のようなAI時代の魔術師になれない一般の人間が、AIに操作されるいっぽうにならずに、うまく付き合うための方策を検討している多くの研究者たちの動向を紹介してくれているところが本書の読みどころであり、すこし身内びいきが強くはあるが、それでも信頼していいと思える様々な理論的仕事に対しての西垣通の吟味、成果と限界の指摘はたいへん参考になる。参考になるのだが、西垣通の評価の高いネオ・サイバネティクス系の業績は日本ではあまり需要がないのか、翻訳があまり出ていないし、翻訳が出ていてもあまり売れもせず図書館にも所蔵されていないという状態で悲しい。そのなかで西垣通がひとり気を吐いているのはやはり立派なことで、応援してあげたい気持ちを起こさせる。

 

www.nttpub.co.jp

 

【付箋箇所】
7, 11, 12, 13, 16, 17, 19, 27, 37, 39, 42, 43, 44, 45, 55, 58, 64, 66, 70, 71, 76, 84, 87, 88, 90, 91, 93, 97, 98, 100, 105, 106, 107, 111, 113, 114, 125, 128, 133, 134, 135, 136, 146, 152, 153, 155, 166, 168, 169, 172, 187, 188, 189, 190, 192, 194, 197, 201, 204, 207, 210, 212, 213, 214, 218, 225, 227, 234

 

目次:

序論 反ホモ・デウスのために

第Ⅰ部 基礎情報学にいたるアプローチ/情報と意味創出
 第1章 ネオ・サイバネティクスの誕生
 第2章 ネオ・サイバネティクスの展開

第Ⅱ部 基礎情報学の核心/生命にもとづく情報学
 第3章 APSからHACSへ
 第4章 新実在論と生命哲学

第Ⅲ部 人間のための情報技術/AIという衝撃
 第5章 AIの論理と誘惑
 第6章 データ至上主義からの脱出

あとがき


西垣通
1948 -

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com