読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

中沢新一『レンマ学』(講談社 2019)とりあえず、この先五年の展開が愉しみ

中沢新一、七〇歳のレンマ学言挙げ。あと十年ぐらいは裾野を拡げる活動と頂を磨き上げる活動に注力していただきたい。難しそうな道なので陰ながら応援!!! 横道に逸れたら、それも中沢新一。私とは明瞭に違った人生を生きている稀有な人物。変わった人なので、個人的には、死ぬまで変わっていてほしいという願望もすこしある。でも、それだと学問になるのは難しいかも…

なぜ個体性をもった事物が他の個体的事物とつながっていくことができるのかというと、あらゆる事物が空(くう)を本体としているからである。個体性は空から生じ、空が個体性を包み込んでいる。それゆえに、あらゆる事物は空に基づいた同じ構造をしていて、その共通構造をもって他の事物と「相即」することができる。
このとき事物と事物の間に力の出し入れ(力用)が起こる。一方から一方へ力が流れ込む時、一方の事物は力を得て顕在化に向かうが、力を失ったもう一方の事物は隠伏空間の中に隠れていくことになる。これが「相入」の過程で、顕在化した事物のつくる世界の中での変容がつくりだされるのみならず、顕在化していた事物が見えなくなり、しばらくして形を変えて隠伏空間から現れて作用をなす、という事態も起こる。このような「相即即入」の複雑な過程をへながら、縁起の全体運動が起こっていく。

 (第一章「レンマ学の礎石を置く」 p25 )

 

ロゴスからレンマへ、因果から縁起へ、知の全貌を塗り替えようとする試みなので、基礎的な部分の考察は言挙げした本人でなくてもどなたか弟子筋の人がより厳密に研究してほしいという想いはある。大乗仏教、華厳思想の展開が停滞してはや数百年、それを一挙に表舞台に載せようというのだからかなりの熱量が必要になってくるだろう。西洋的学問の行き詰まりというように受け止められる停滞感や疑惑の念に、たんなる過去の東洋的思索の業績を被せようとしているのであれば、それほどめざましい成果が期待できるとは考えづらい。ただ、西欧近代科学の先端の成果を取り入れつつ、東洋的思考を再考するというのであれば、何かしら別のものが出てくる期待感は生まれてくる。まずは、以下の図式のような切り分け方が、従来の学問領域で検討課題として一般的に取り上げられてくるような環境を作り出す地道な努力が必要になってくると、市井の好事家としては感想を持つ。

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【付箋箇所】
4, 25, 26, 38, 40, 45, 50, 72, 78, 90, 91, 94, 95, 96, 97, 102, 104, 108, 109, 117, 119, 125, 133, 141, 143, 159, 176, 183, 200, 230, 242, 246, 255, 260, 268, 279, 297, 315, 320, 346, 360, 373, 383, 413, 421, 458,

 

目次:

第一章 レンマ学の礎石を置く
第二章 縁起の論理
第三章 レンマ学としての『華厳経
第四章 脳によらない知性
第五章 現代に甦るレンマ学
第六章 フロイト的無意識
第七章 対称性無意識
第八章 ユング的無意識
第九章 レンマ的数論(1)
第十章 レンマ的数論(2)
第十一章 レンマ派言語論
第十二章 芸術のロゴスとレンマ
エピローグ

付録
一 物と心の統一
二 レンマ的算術の基礎
三 心のレンマ学/A Lemma Science of Mind

あとがき

 

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中沢新一
1950 -