読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

西垣通『集合知とは何か ネット時代の「知のゆくえ」』(中公新書 2013)

資本主義経済下で実学志向の御用学問としての色合いをますます強めていっている専門家による専門知の凋落傾向と、スポンサー重視の情報発信がもたらす弊害を、より強く感じるようになった二十一世紀の社会。あわせて、インターネットという情報インフラの進展で加速された高度情報化社会がもたらした、大衆レベルから発信される情報の集積として像を結ぶ「集合知」に対する期待。著者自身は情報工学のとびきりの専門家で、専門家が本来担うべき知に対する真摯な態度と検証を経た専門知の提供に専念することを推奨する一方、新たに脚光を浴びるようになった集合知に対しては過剰な期待を抱くことなく、適切な水準での利用を推奨するというスタンスで論述は進められている。

過剰な期待というのは、「集合知」が常に正しい解決に迅速に結びつくであろうという期待で、適切な水準というのは、「AIからIAへ」ということで考えられている知的活動の増幅を期待する水準であると私は読んだ。

二一世紀にかけてIT業界では何が起こっただろうか。
端的にいうと、それは「AI(Artificial Intellligence)からIA(Inteligence Amplifier)への転換」である。コンピュータに問題解決を丸投げするのではなく、コンピュータの能力を上手につかって人間の知力を高め、問題を解決するという方向にほかならない。コンピュータは、人間のような知力をもつかわりに、人間の知能を増幅(amplify)する役目をおびるのである。
(第二章「個人と社会が学ぶ」p69-70)

穏当な指摘に収まっているような印象を受けもするが、本書を通して得られる知的な示唆、立論に用いられている各研究者たちの業績への案内は非常に刺激的である。西垣通の著作ではくりかえし現われる学問的な業績であるのだが、それこそ著者が重要視を感じていることの証なのであろう。

備忘ためにも、ここに書き出すとすると、

ユクスキュルの環世界
マトゥラーナとヴァレラにおけるオートポイエーシス理論、
二クラス・ルーマンの機能的分化社会理論
エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドのラディカル構成主義認知心理学
ジークフリート・シュミットの文学システム論
ネオ・サイバネティクス

などである。

本書で新たに参照されたネオ・サイバネティクス関連の研究成果として、情報学者西川アサキの『魂と体、脳 計算機とドゥルーズで考える心身問題』(2011)にも興味がひかれた。

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【付箋箇所】
13, 21, 42, 48, 54, 69, 75, 84, 88, 90, 102, 114, 155, 158, 172, 176, 198, 199, 208

目次:
第一章 ネット集合知への期待
第二章 個人と社会が学ぶ
第三章 主観知から出発しよう
第四章 システム環境ハイブリッドSEHSとは
第五章 望ましい集合知をもとめて
第六章 人間=機械複合系のつくる知


西垣通
1948 -

参考:

uho360.hatenablog.com