読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エティエンヌ・バリバール『スピノザと政治』(原著 1985 追加論文 1989, 1993, 水声社 叢書言語の政治 17 水嶋一憲訳 2011)

スピノザの主要三著作『神学・政治論』『エチカ』『政治論』(邦訳『国家論』)から、大衆各個人の情動を根底に構成される国家体制について思考する政治論を分析している。ホッブスとの自然権の譲渡と契約をめぐる差異、マルクスとの理論構築においての外的条件と心理的条件の重心のかけ方の相違と理論的な相互補完性を取り上げているところが印象に残るとともに、スピノザ哲学における情動とコミュニケーションの位置づけの徹底した姿勢を取り上げるバリバールの論考の展開と一貫性に感心させられる。

社会的な生[=社会生活]とはコミュニケーションの活動性にほかならないのだから、認識は二重の実践的次元を有している。つまり、一つはその諸条件に関連するものであり、もう一つはその諸結果に関連するものである。スピノザによれば、コミュニケーションは、無知と知、迷信、イデオロギー的敵対関係が織りなす諸関係――人間はこれらの内部で欲望を備給し、諸身体の活動性じたいもこれらによって表現される――によって構造化されている。われわれはスピノザとともにこのことを認めるなら――また認める限りにおいて――、認識は一つの実践であり、認識のための闘争(すなわち、哲学)は一つの政治的実践であるということをも認めなければならないのだ。
(第4章 『エティカ』―政治的人間学 『エティカ』とコミュニケーション p173  太字は実際は傍点 )

若くしてユダヤ人共同体から破門され、暗殺の危険にも遭い、『神学・政治論』刊行前には弟子のクールバッハが捕らえられ刑に処せられたり、『神学・政治論』刊行後には親交のあった人物が虐殺されたり、危険と隣り合わせの生活環境のなかで思索したスピノザ。静謐さと慎重さによって自衛された揺らぎない静かな熱狂が滾々と湧きつづけていたことは、その著作に触れることで直接に知ることができる。時代が異なっているためと、論述のスタイルと翻訳でもわかる文体の乱れのなさから、「神に酔える人」とも評されることもある哲学者ではあるが、その「認識のための闘争(すなわち、哲学)」の存在感と戦術のめざましさが今なお圧倒的であることは、本署をはじめとした各研究書から次々に教えてもらえている。


【付箋箇所】
38, 63, 77, 82, 93, 98, 115, 125, 156, 160, 166, 171, 172, 183, 186, 190, 194, 210, 212, 224, 238, 272

目次:
第1章 スピノザの党派
第2章 『神学・政治論』―民主制のマニフェスト
第3章 『政治論』―国家の科学
第4章 『エティカ』―政治的人間学
第5章 政治とコミュニケーション
補 論 政治的なるもの、政治―ルソーからマルクスへ、マルクスからスピノザ
マルチチュードの力能と恐れ 水嶋一憲

エティエンヌ・バリバール
1942 - 
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677
水嶋一憲
1960 -