読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ルイーズ・グリュック『アヴェルノ』(原著 2006, 江田孝臣訳 春風社 2022)

2020年度ノーベル文学賞詩人の63歳での第10詩集。『野生のアイリス』に次ぐ二冊目の日本語訳詩集。

一時間たらずで読み通せてしまうので、気になったときに再読するのに適した分量、そして内容。

母娘の世代間に関する齟齬の物語。

押し付けられたのか、自ら望んだものなのか、性にまつわる思考の反復と、反省と反抗の苦痛が、静かに、それでいて執拗に、流れつづけている。

性的役割とされるものの、暴力を呼び起こさずには済まされない形象のさまざまな相を、詩人自身の経験にからめながら描こうとしているのが、この詩人の作風なのだろうと感じた。

1992年、49歳での刊行となる代表作『野生のアイリス』に比べれば、混乱に立ち向かう姿の鮮明さは、薄れている、というか角が取れてきているようだ。静かに深化しているという印象も受ける。

内外に向けての長い省察の期間を経たのちに、防御も攻撃もひとたびは内向化され、幾重もの検討を経たものとなって、充分に潜行化されたところから発せられる詩の表層を飾ることばは、多方面に関係性を求めていて、強い主張を持ちながらも自己充足することはない。

自分自身を批評の対象にしながらも、敵対する複数の外部や、より大きな基盤ともなる外部無きひとつの世界に対して、独自の、渾身の異議を唱える。

詩人のモチベーションは、伝統的な役割を強いられることによって、本来自由であるべき魂の在りかたが、拘束され、望まない方向に変形される圧力をがあると告発しながら、自分自身の弱さから発する既存体制への順応の傾きをを検証しつづける、自分自身への毒に満ちた、誰に請われるでもない生来の批判精神の過剰にある。

一度だけ起こったこと。なにものでもない私が生まれ、私を私と思い、思考し、行動しつづけていること。科学でもなく宗教でもなく、与えられた結びつきのなかで、他者には容易に通じることのない癖のようなものが身につき、身近な人との関係のなかで、摩擦や抱擁が起きては消えていくことについて、ルイーズ・グリュックの詩は、語りつつ反省しているのではないだろうか、そのように感じながら繰り返し読んでいる。

作品は、デメテルとペルソポネの母子間の距離を置きながらの錯綜した相剋が基本線を成し、その相剋の劇の主人公たるペルソポネの存在感の薄さに、詩人自身の抑えることのできない情念が重ね合わされ、精神の危うい緊張が表現されている。冥界へ略奪することでペルセポネの運命を変えたハデスの存在は実際の神話以上に薄く、ペルソポネの思考や行動のひとつの口実となっているに過ぎない。中心は、無垢であった少女時代の私と、傷つき見る影もなく変わってしまった今の私をめぐるモノローグ。妻、母、娘という役割に安住できない魂の叫び。何が決定的に私を変えてしまったのかは明確に語られることはなく、暗示されるにとどまっているがために、詩のイメージは大きく深く、低いトーンの叫びというか呻きは、より執拗に読み手に訴えかけてくる。

わたしには何の得もない。暴力がわたしを変えた。
わたしの体は、はぎとられた畑のように冷たくなった。
残ったのは用心ぶかい精神と
試されている感覚だけ。
(「十月」より)

女性であり受難者であることから汲み上げられてきた本詩集の作品のことばは、おそらく女性の読者にとってより深刻なものとなって届くだろう。

www.shumpu.com

www.shumpu.com


目次:
 夜の渡り


 十月
 さまよい人ペルセポネ
 プリズム
 火口湖
 エコー
 フーガ


 宵の明星
 風景
 無垢の神話
 古風な断片
 青いロタンダ
 ひたむきな愛の神話
 アヴェルノ
 前兆
 望遠鏡
 つぐみ
 さまよい人ペルセポネ

注記

[訳者補遺]

訳者後注
作品一覧(原著・訳書)
訳者あとがき


ルイーズ・グリュック
1943 - 
江田孝
1956 -