読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

杉本秀太郎『伊東静雄』(筑摩書房近代日本詩人選18 1985, 講談社文芸文庫 2009)

書名は『伊東静雄』となっているけれども、詩人の評伝ではない。作品論、それも詩人の第一詩集『わがひとに与ふる哀歌』一冊のみの作品構成を読み解く日本ではまことに珍しい著作になっている。全28篇を冒頭掲載作品から順追って掲載解説している本書を読み通すと『わがひとに与ふる哀歌』の印象は間違いなく変わる。著者の主張するところでは、『わがひとに与ふる哀歌』の各詩篇は、冒頭で「私」に呼びかけられた「愛される人」とも言われる「私の放浪する半身」と「私」との詩を通しての応答ということになる。一般には著者杉本秀太郎によって指摘されなければその構成に気づかないという作為の微かさは、明確に伝えたいのであれば詩人伊東静雄の失敗とも捉えられうるものであるが、どうもそのようではない。詩集全体としてはそのようにも取れるという企みを埋め込んでいることで含蓄ある奥行きが生まれているように思えるからだ。

私の放浪する半身 愛される人
私はお前に告げやらねばならぬ
誰もがその願ふところに
住むことが許されるのでない
(「晴れた日に」部分)

杉本秀太郎は全28篇の詩集のなかでの仮構された作者を「私」と「半身」に割り振ることからはじめて、その応答と別離のドラマがあると説く。その説にしたがって『わがひとに与ふる哀歌』をなんどか読み返してみると、俗世に寄り添い生きることを受けている生活者でもある芸術家としての詩人たる仮構された「私」と、伊東静雄が愛した山岳画家であり象徴派的な側面も持つジョバンニ・セガンティーニが描くところに似た世俗を離れた芸術の時空間に彷徨うことを強いられ純化され酷薄な相貌を帯びながら希薄化していく存在としての「半身」との別離と共存の劇になっていることに納得がいく。語りはじめたのは「私」であり、語りおさめるのも「私」であり、その間のすれ違いながらの応答のなかで、「私」は「半身」から離れ、「半身」も「私」から離れ、それぞれが別の境域にいたりつく。書物としての『わがひとに与ふる哀歌』は、「私」と「半身」の相剋と棲み分けのドラマを経ることで、別の詩集を生み出す境位の辿りつく。杉本秀太郎は『わがひとに与ふる哀歌』の内的構成の緊密さを評価するゆえに、その後の『夏花』以降の詩集には厳しい眼をむける傾向にあるが、『わがひとに与ふる哀歌』以外の作品も『わがひとに与ふる哀歌』自体の鑑賞も、一人の優れた読み手である杉本秀太郎を参考にしながら独自に読み込んでいけばよいものと私個人は思う。

詩集の隠れた構成を読み解くという大変貴重な試みながら、同時代までの評釈に対する物足りなさが私情を込めて語られているところが感情的に忌避される可能性もありすこし惜しい気がする。私情を表面的に押し込んで、もっと学問的に厳しく攻めていけば畏れも生まれ、学問的な継承者も出てきやすい雰囲気が生まれそうなのに、ちょっと惜しい。

伊東静雄詩集 - 岩波書店

『伊東静雄』(杉本 秀太郎):講談社文芸文庫|講談社BOOK倶楽部

【付箋箇所】(講談社文芸文庫
37, 50, 72, 77, 97, 116, 130, 151, 161, 169, 180, 193, 255

伊東静雄
1906 - 1953
杉本秀太郎
1931 - 2015

参考:

uho360.hatenablog.com