読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

アルベルト・マルチニ監修『ファブリ世界名画集 72 ヴィットーレ・カルパッチョ』(原著 1964, 解説:目形照 平凡社 1973)

現代の日本においてヴィットーレ・カルパッチョの作品といえば、ふたりの高級娼婦の姿を描いたというコッレール美術館所収の『二人のヴェネツィアの女性』で、画家が活動していた当時の最先端のファッションを身にまとっている世俗的人物を、落ち着いた筆致というか、アンニュイな雰囲気で描いているのが特徴的で、その作品からにじみでる日常のなかの非日常性によってよく知られてはいるものの、そのほかにはどのような作品があるかというと、すぐには思いつかないような残念な扱いになっていて、たとえばヤマザキマリのような21世紀日本の本格的な美術愛好家からカルパッチョ愛を伝えられることがなければ、作家の全的な活動については知らずに過ごしてしまっているような、隠れた巨匠であり、だからこそ改めて発見され、新たに愛されるべき作家であるように感じる。
カルパッチョの作品はそのもっともはやいころの作品といわれる『赤帽子を被った男の肖像』から憂いを内に秘めた人物の表情しか描いていないような印象を受ける。たとえ華麗な衣装をまとって華やかな饗宴や厳粛な集団的儀式のなかに存在してはいても、内面はどこかうつろな個別の世界に沈んでいる個人が個別に存在しているさまが描かれている。一点に集約しない、単一の原理に従ってはいないような、潜性力を秘めた世界。おのおのが考え、感じ、見るものが違っている重層的な世界。そこに生産的なコミュニケーションは発現してはいないものの、解消しがたい力学的関係が縦横に走っている。画面を構成するひとりひとりの人物ひとつひとつの事物が内的緊張を保ちながらそれぞれに存在していることで、なまなましい創造の瞬間における時空間が全的に捉えられている。どこに目を向けても、生と死、快と苦、動と静、衝動と思考といった緊張関係が、瞑想しているような個々の生命体に漲っているところに惹きつけられる。人間や動植物などの生き物ばかりでなく、建造物や室内外の飾りや調度品まで、どことなく精神性を帯びているようなところが、気になりだすとどこまでも不思議になってくるという類いまれな作家なのだろう。


ヴィットーレ・カルパッチョ
1465 - 1525