読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コレクション日本歌人選 049 小林一彦『鴨長明と寂蓮』(笠間書院 2012)

鴨長明と寂蓮。ネームバリューで『方丈記』の鴨長明が優り、歌人としての優劣では寂蓮が圧倒している。本書は著者小林一彦の専門が鴨長明であることもあって、鴨長明の歌28首、寂蓮の歌22首という内訳となっているが、収録歌と収録歌鑑賞の方向性から歌人としての寂蓮の上手さや幅の広さが感じられるつくりとなっている。
歌が歌人の時々の境遇を語るためのきっかけのようにして取り上げられる鴨長明に対して、歌の技巧や歌を生み出す感性が歌そのものに沿って語られる寂蓮では、寂蓮の歌の魅力がより引き立つことになる。
二人の影響関係からいっても、鴨長明が年長の寂蓮から大きな影響を受け、その存在を超えられなかったことが、本書では明確に示されているように思う。

寂蓮の先行歌
 数ならぬ身はなきものになしはてつ誰(た)がためにかは世をもうらみむ
長明の後続歌
 世はすてつ身はなき物になしはてつ何をうらむる誰が嘆きぞも

柳瀬一雄編の『校注 鴨長明全集』によると、鴨長明の全歌作は340首で、勅撰和歌集には25首が入集している。本書はそのうちの28首が採られているのだから、寂蓮や本書と同シリーズ「コレクション日本歌人選」で取り上げられている様々な歌人に比べて圧倒的に優遇されている。寂蓮の勅撰和歌集入集歌は117首、かつ『新古今和歌集』の選者で、三夕の歌の一角を占めていることでもよく知られている。

寂蓮の三夕の歌は
 寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ
百人一首には
 むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧立のぼる秋の夕暮
が採られている

鴨長明の代表歌というのは『無名抄』でも読んでいないと普通は出てこない。

新たな歌枕を創出したとして自ら誇った
 石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたづねてぞすむ
と、歌合で藤原定家に勝った
 夜もすがらひとり深山の槙の葉に曇るも澄める有明の月
が自他ともに認めるところの代表歌となるであろうか。

『校注 鴨長明全集』に収録の鴨長明全歌を読むと、同音にひきずられることが多く、ぎこちなくすっきりしない印象の歌が多い。ものを写し詠いあげようという思いと、技巧のバランスがうまく調和していないような気がする。理に走った技巧がおもてに出すぎて、ちょっとうるさく、濁音や字余りが悪目立ちしているケースも多く見られる。歌人としての不器用さが逆に興味深くもあるのだが、それはやはり『方丈記』や『発心集』『無名抄』などの散文の作者であるからこそ生まれる興味関心で、純粋な興味関心からは離れている。
時の治者である後鳥羽院から才能と情熱を認められながら、結果的には歌を棄てた鴨長明。しかし、その鴨長明から、千載集や新古今集時代のほかの有力歌人たちに導かれてゆく通路が開かれていることには注意を払いたい。

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小林一彦
1960 - 
鴨長明
1153 - 1216
寂蓮
1139 - 1202