読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

梅津濟美訳『ブレイク全著作』2 (名古屋大学出版会 1989)

公の席でイギリス国歌とともに歌われることの多い聖歌「エルサレム」は、ウィリアム・ブレイクの第二預言書『ミルトン』の序詩に曲がつけられたもので、イギリス国民の多くが詩を暗唱し、難なく曲に合わせて歌唱しているものである。大江健三郎の四〇代後半の代表作『新しい人よ眼ざめよ』のタイトルも、ブレイクの『ミルトン』の序から採られており、私がブレイクを読むきっかけともなった作品で、ブレイク全著作を読むに関しても影の支えとなった作品である。

梅津濟美訳『ブレイク全著作』の巻二には、ブレイクの預言書三部作のうち第二預言書『ミルトン』と第三預言書『エルサレム』が含まれていて、日本語環境では馴染みの薄いブレイクの後期作品にしっかりと触れることができるのだが、実際に手に取ってみると、読みすすめるのにかなり困難をきたす。基本的に初読で全体像を自力で把握できることを期待してはいけない作品で、道案内が何かしらなければ必ず通読することには挫折するだろうような、読者に不親切な粗削りな作品である。

銅版画による出版を意図して、自ら推敲しつつテクストを刻み込む作業をしているのだから、もう少し読者に寄り添ったリーダブルな販売戦略を取った作品に仕上げてもよさそうなものだが、ブレイクの後期預言書はあくまで世間に迎合するようなことはしない。晩年の経済的不如意も、この頑固さからきているのは明らかで、自業自得とも言えるのだが、後世において、理解しやすい部分からその存在の偉大さを認められたところは、ブレイクにとっては良かったことであろう。

ただ、現代のイギリスの人びとがブレイクの預言書を好んで読んでいるかいなかという点については疑問が残る。多くのブレイク論は青年期の詩篇である『無垢の歌、経験の歌』、すこし踏み込んだものでも『天国と地獄の結婚』までにとどまり、ブレイクの神話的世界の展開までには手を付けていない。聖歌「エルサレム」についても、第二預言書『ミルトン』のなかでは、独立詩篇として格別に味読しやすく受け入れやすいところであり、『ミルトン』全篇の未整理かつ独断的の幻視世界に一貫した秩序を与えてくれるというものではない。逆に、序詩にすべてを包摂されてしまうような詩作品であれば、はじめ狂人の作品として捨て置かれたブレイクの預言書が、のちのち刺激的な世界像を提供する詩篇として再評価されるようなことはなかったであろう。現代のイギリスにおいてもブレイク預言書はそれほど読まれてはいないだろうというのが今時点においての正直な感触である。ブレイク後期作品は受容しずらい。

導き手がなければ放棄するかもっとおざなりの読書体験となったであろうウィリアム・ブレイク全著作については、松岡正剛の示唆により、並河亮の著作を傍らに置けたことが救いとなっている。現時点で全篇読了したわけではないが、『ウィリアム・ブレイク 芸術と思想』(原書房 1978)はブレイク預言書の読みづらさと第二章おける各種神秘主義との関連について明示してくれたことで、読み通す腹を括ることができた。分かりにくいものは分かりにくいと示されることで、とりあえず分からない部分に関しては、不問に付そうという態度を選択できることが貴重。まあ挫折するより、とりあえず踏破したほうが、肯定的な言説を語れる。
※固有名が楔となるはずの世界ではあるが、指示対象が存在する世界が幾層にもわたり視座が一定しないため、全体像が特定しがたいのがブレイクの神話世界であると思う。真実らしさを構築するための手順や配慮が欠けていて、ブレイクにとっての必然が、読者にとっての必然とはなかなかならないのがツラいところである。

日本においてあまり語られることのないブレイクの預言書について今後も読み進めていくべきかどうかはまだ結論の出ないところで、大江健三郎の『新しい人よ眼ざめよ』の再読もからめて、もう少し気にしていきたい。一応、初見での目印は付けた。

 

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【付箋箇所(上下二段組み a:上段、b:下段)】
774a, 776b, 802b, 811a, 811b, 815a, 815b, 838b, 848a, 860a, 863a, 898a, 905b, 907a, 907b, 911a, 912a, 915a, 921b, 929a, 932a, 955a, 96a, 964a, 967b, 972b, 995a, 1018a, 1040b, 1042b, 1044b, 1069a, 1074b, 1092a, 1093a, 1097b, 1105a, 1106a, 1110b, 1165a, 1172a, 1180a, 1186a, 1222b, 1249b, 1255a, 1256b, 1263b, 1280a, 1289b, 1301b, 1312a, 1345b, 1347a, 1348b, 1389a, 1397a, 1420a, 1430b, 1459b

 

目次:
[手帖]からの詩と断片[一八〇〇-一八〇三年頃]
[ピカリング稿本]からの詩[一八〇三年頃]
[手帖]からの覚え書き一 八〇七年
ブレアの『墓』への挿画献呈の詩 一八〇八年
『サー・ジョシュア・レイノルズ著作集』に対する書き込み[一八〇八年]
ミルトン 一八〇四年
展覧会の広告類と目録[一八〇九年]
フレスコによる絵の展覧会、詩的及び歴史的主題の新機軸
持ち運びできるフレスコの新機軸
ブレイクの展覧会の解説目録
ブレイクのチョーサー
[公衆への訴え][一八一〇年頃]
[最後の審判の一幻想]一八一〇年
エルサレム 一八〇四年
シュプルツハイムの『精神異常に関する所見』に対する書き込み[一八一九年頃]
パークリの『シリス』に対する書き込み[一八二〇年頃]
[ラオコーン]一八二〇年頃
ホメロスの詩について ヴェルギリウスについて 一八二〇頃
アベルの亡霊 一八二二年
チェニーニの『絵画論』に対する書き込み[一八二二年頃]
ウィリアム・アプコットの署名帖への書き入れ 一八二六年
ワーズワースの『詩集』に対する書き込み[一八二六年]
ワーズワースの『逍遙篇』に対する書き込み[一八二六年]
ソーントンの『主の祈り、新訳』に対する書き込み 一八二七年
絵画作品に添えられたことばなど


ウィリアム・ブレイク
1757 - 1827
梅津濟美
1917 - 1996

参考

uho360.hatenablog.com