八〇九年の嵯峨天皇即位から一二〇五年の『新古今和歌集』の成立までの約四〇〇年間、平安時代(794-1185)の世の移り変わりを、絵巻に表わされた場面とともに、駆け足でたどる感のある歴史書。文字表記ではなかなかリアルに現れてこない衣食住の様子や、貴人たちを支える使いの者たちの様子、下層に位置する庶民、労働者たち、あるいは病者までが、絵師の手になる表現で絵巻に描き込まれていることを利用して、平安期の宮廷世界と、それを経済的に成り立たせる基盤となってなっていた荘園、思想的な背景としての神仏習合的な日本の信仰の状況を、より鮮明に語っていこうとした攻めの姿勢の一冊。
A5版単行本、全448ページ。基本的には各頁上3分の1を絵巻の図版表示スペースにとっていて、全133図で本文を支えるかたちになっている。主に利用されるのは『年中行事絵巻』『天狗草紙』『一遍聖絵』『春日権現験記絵』の四作品。平安期以降に成立した作品がほとんどであるが、平安期の様子を伝え、また喚起するにふさわしい場面が選ばれている。引用参照される図版は、絵巻のクライマックス部分と必ずしも重なるものではないが、本文との密接で的確な関連性と、発色と輪郭の鮮明さの質の高さには見るべきものがあって、各絵巻物への優れた導入にもなっている。惜しむらくは、図版用スペースが空白のままである見開きページが散在していることであるが、そこは読者各自が自分なりの探究で補完していくことに醍醐味があることを知ったうえでの編集方針ととっておいても損はない。一部収録されている『伴大納言絵巻』や『法然上人行状絵伝』、残念ながら記述のみで図版収録はされていない『弘法大師行状絵巻』や『鳥獣人物戯画』『日蓮上人註画讚』などについて、絵巻との接触から得られる感動は、本書の記述や編集の質からある程度保証されているので、自分なりに閲覧体験してみることに期待をかけてよい。
絵巻の魅力以外にも本書から得られることいくつかはあって、いちばん大きなものは、王朝世界を構成する人々の富の元にあるのは荘園の開拓とそこでの実際の生産にあたる人びとだということを押さえている歴史的で政治経済的な視点である。次いで、和歌・蹴鞠・舞曲などの日本の芸能が日本の神々に対する捧げものであるという認識、さらには、時代時代のパワーバランスの推移によって政治体制や人事の慣例が否応なく刷新されていくことに対する視点の鋭さがある。400百年のタイムスパンを400ページで語ろうとする企画であるために、個々の事象について綿密に記述されているということにはいたるはずもないわけではあるが、専門的な著作でもなかなか出会うことのできない記述に出会うことができるのは本書の優れたところだと思う。時代を画する出来事についての記述が、多方面から用意提供されている。
【道真の失脚】
延喜三年(九〇三)、配流の地の太宰府において道真は失意のうちに亡くなった。文人政治家が後退、「文章経国」の時代が終焉し、政務は太政官筆頭の左大臣藤原時平が主導するところとなった。
【平泉の惣社】
日本列島ではこの時期(引用者注:平安末期)から広く陶器の生産が行われ、多くの製品が太平洋沿岸の各地に販路を伸ばし、また能登産の珠洲焼は日本海方面に流通していた。「日本六古窯(常滑、瀬戸、信楽、丹波、備前、越前)」と呼ばれる中性窯は、ほぼこの時代に成立し、日本の各地の集落や館跡の遺跡に見られるようになる。
政治と生活、そして芸能の三方面を、バランスよく押さえた平安通史の著作であろう。
※個人的には勅撰八代集が編まれた時代の参考書として本書を選び読んでいる。
【付箋箇所】
40, 42, 52, 55, 65, 66, 83, 94, 129, 157, 158, 198, 215, 217, 246, 257, 268, 281, 295, 311, 334, 341, 356, 368, 374, 420, 428
目次:
はじめに
第一章 宮廷世界の始まり
一 宮廷社会の形成
二 宮廷世界の広がり
三 新たな国家像
四 宮廷世界の光と影
第二章 宮廷世界の繁栄
一 摂関政治の新段階
二 一条朝の宮廷世界
三 宮廷社会の裾野
四 末法の時代
第三章 宮廷世界の変容
一 国王の家
二 院政の展開
三 白河院政から鳥羽院政へ
四 鳥羽院宮廷の世界
第四章 宮廷世界と武家政権
一 後白河院政と武者の世
二 平氏政権の展開
三 内乱の始まり
四 公武の政権
第五章 宮廷世界の再建
一 鎌倉幕府の成立
二 朝廷と幕府
三 後鳥羽宮廷の世界
おわりに
五味文彦
1946 -